差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
349 バイト追加 、 2022年6月21日 (火) 17:40
『出雲国風土記』楯縫郡に、「土地の古老が語り伝えて言ったことには、阿遅須枳高日子の命の后、天の御梶日女の命が、多具の村においでになって、 多伎都比古の命をお産みになった。その時、胎児の御子に教えて仰せられたことには、 「おまえの御父上のように元気に泣きなさい。生きてゆこうと思うならば、ここがちょうどいい」とおっしゃった。いわゆる石神は、すなわちこれ、多伎都比古の命の御霊代である。日照り続きで雨乞いをした時は、かならず雨を降らせられるのである。(「日本古典文学全集 風土記」 小学館、p202-203)」とある。
 
この神社は「大船大明神」とも呼ばれており、大船明神としての縁起としては、安康天皇の御代、近江から松本氏が勧請し、大船山に鎮座したという。その時、船にて勧請したその船が、今、岩となって大船山になったらしい。(HP:多久神社、玄松子より)
=== 多久神社(松江市鹿島町) ===

案内メニュー