濃飛に点在する伝説は、『日本書紀』の記述に沿うものであっても、両面宿儺を単なる凶賊ではなく官軍に討伐された飛騨の豪族とする。そのいっぽうで、あるいは龍や悪鬼を退治し(高沢山・位山)、あるいは寺院の縁起に関わる(千光寺・善久寺・日龍峰寺)など、地域の英雄にふさわしい活躍を見せている。大和王権に抗した古代の豪族を、その土地の人々が尊崇し続けてきたかのようである。
とはいえ、伝説の多くは[[江戸時代]]以降に記されたものである。たとえ江戸期における信仰が在来の伝承に基づくとしても、『日本書紀』に登場する両面宿儺を寺院の創建と結びつけることは困難である。これらの伝説の起源については定説を見ないが、在地伝承に現れる両面宿儺に、王権によって矮小化され、観音信仰の蔭に隠れるようにして生き延びた英雄の名残を見いだし、位山を神体とする飛騨一宮水無神社の本来の祭神に想定する研究者もいる'''江戸時代以降'''に記されたものである。たとえ江戸期における信仰が在来の伝承に基づくとしても、『日本書紀』に登場する両面宿儺を寺院の創建と結びつけることは困難である。これらの伝説の起源については定説を見ないが、在地伝承に現れる両面宿儺に、王権によって矮小化され、観音信仰の蔭に隠れるようにして生き延びた英雄の名残を見いだし、位山を神体とする飛騨一宮水無神社の本来の祭神に想定する研究者もいる<ref>{{Cite journal |和書 |author = 永藤靖 |authorlink = |date = , 2009-11 |title = , 『仁徳紀』の両面宿儺について -隠された英雄伝承- |journal = , 文芸研究 : [[明治大学]]文学部紀要 |volume = |issue = 明治大学文学部紀要 , 109 |, pages = :4-10 |publisher = , 明治大学文芸研究会 |, issn = :03895882 |, naid = :40016907760 |ref = harv}}</ref>。
== 考証 ==
[[日龍峰寺]]の縁起では、両面宿儺は身に鎧を着て、四つの手にはそれぞれ鉾・錫杖・斧・八角檜杖を持ち、その存在は救国の英雄だとされる。日龍峰寺の縁起では、両面宿儺は身に鎧を着て、四つの手にはそれぞれ鉾・錫杖・斧・八角檜杖を持ち、その存在は救国の英雄だとされる。
『日本書紀』の伝承について、仁徳天皇の時代は[[5世紀]]前葉の時期であり、この時期に仏教が日本列島に到来したことは考え難く{{なぜ|date=2022年3月}}、また両面宿儺を退治したとされる[[武振熊命]]も仁徳朝より時期が少し早い[[神功皇后]]・[[応神天皇]]の時代に活動した武将であるため、伝承が全体として整合性がないと考えられる{{要出典|date=2022年3月}}。しかし、両面宿儺伝承の記事は飛騨という地域の国史初見であり、現地に伝わる英雄伝承を考え合わせれば、たんなる怪異伝承ではないと見る向きもある{{要出典|date=2022年3月}}。これについて、宝賀寿男は両面宿儺は双子(二人)の兄弟支配者を一体として表現した可能性を主張している<ref name="houga" />。