本来は穀物・農業の神だが、現在は商工業を含め産業全体の神とされ<ref>戸部, 1997, pp86-91, 宇迦之御魂神</ref>、日本で最も広範に信仰されている神の一つである<ref>Ross, 2009, p361</ref>。稲荷神は神仏習合思想において仏教の女神である[[荼枳尼天]]とも習合したため、仏教寺院で祀られることもある<ref>中村, 2009, p74</ref>。
もとは[[古代社会]]において、「[[渡来人]]であった[[秦氏]]の[[氏神]]的稲荷信仰をもとに、秦氏の勢力拡大に伴って[[伏見稲荷]]の信仰圏も拡大されていった」と『日本民俗大辞典』は述べている{{sfn|もとは古代社会において、「渡来人であった秦氏の氏神的稲荷信仰をもとに、秦氏の勢力拡大に伴って伏見稲荷の信仰圏も拡大されていった」と『日本民俗大辞典』は述べている<ref>福田|, 神田|, 新谷|, 中込|, 1999|p=117}}。本来の「[[田の神]]」の祭場は狐塚([[キツネ]]を神として祀った[[塚]]・キツネの棲家の[[穴]])だったと推測されるが、[[近世]]には[[京都]]の[[伏見稲荷大社|伏見稲荷]]を中心とする稲荷信仰が広まり、狐塚に稲荷が祀られるようになった{{sfn|, p117</ref>。本来の「田の神」の祭場は狐塚(キツネを神として祀った塚・キツネの棲家の穴)だったと推測されるが、近世には京都の伏見稲荷を中心とする稲荷信仰が広まり、狐塚に稲荷が祀られるようになった<ref>福田|, 神田|, 新谷|, 中込|, 1999|p=468}}, p468</ref>。
== 概要 ==
稲荷神を祀る[[神社]]を稲荷神を祀る神社を'''[[稲荷神社]]'''(いなりじんじゃ)と呼び、[[京都市]][[伏見区]][[深草]]にある[[(いなりじんじゃ)と呼び、京都市伏見区深草にある伏見稲荷大社が日本各所にある神道上の稲荷神社の総本宮となっている<ref>伏見稲荷大社]]が日本各所にある[[神道]]上の稲荷神社の総本宮となっている{{Sfn|伏見稲荷大社|, 2018a}}。伏見稲荷大社では、[[キツネ|狐]]は稲荷神の[[神使]]とされる{{Sfn|</ref>。伏見稲荷大社では、狐は稲荷神の神使とされる<ref>伏見稲荷大社|, 2018f}}</ref>。
稲荷神は、[[和銅]]4年([[711年]])に[[山城国]][[稲荷山 (京都府)|稲荷山(伊奈利山)]]、すなわち現在の伏見稲荷大社に鎮座したと伝えられている{{Sfn|伏見稲荷大社|2018c}}。元々は[[京都]]一帯の豪族・[[秦氏]]の[[氏神]]で、現存する旧[[社家]]は大西家である{{Sfn|山折|1999}}。神道系の稲荷神社では朱い[[鳥居]]と、[[神使]]の[[妖狐#様々な種類の妖狐|白い狐]]がシンボルとして広く知られる{{Sfn|中村|2009|pp=26,30}}。[[廃仏毀釈]]が起こる前の仏教系寺院でも鳥居が建てられ、現存する寺院もある<ref group="註">豊川稲荷,最上稲荷など。</ref>。元来は[[五穀]]豊穣を司る神であったが、時代が下って、商売繁昌・産業興隆・家内安全・交通安全・芸能上達の守護神としても信仰されるようになった{{Sfn|伏見稲荷大社|2018g}}。「稲成り」の意味だったものが、稲を荷なう[[神像]]の姿から後に「稲荷」の字が当てられたとされるが{{sfn|福田|神田|新谷|中込|1999|p=117}}、「稲生」や「稲成」<ref group="註">[[河堀稲生神社]]、太皷谷稲成神社など。</ref>、「伊奈利」<ref group="註">この名称は埼玉県に多いが、[[伊奈氏]]に因むわけではない。</ref>とする神社も存在する。