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== 縄文の神話 ==
神話学者の[[吉田敦彦]]は、[[縄文時代]]中期の[[土偶]]の大半が[[地母神]]的な女性を表現しており、且つ破壊されている点に注目した神話学者の吉田敦彦は、縄文時代中期の土偶の大半が地母神的な女性を表現しており、且つ破壊されている点に注目した<ref name="N">『日本人の女神信仰』 吉田敦彦</ref>。これは「地母神が殺されてバラバラにされ、そこから人々の役に立つものが誕生した」という神話を、女神の表象である土偶を破壊して分割する行為によって儀礼的に再現した痕跡ではないか、と考えたのである<ref name="N" />。この説によると[[ハイヌウェレ型神話]]は芋(あるいは五穀)栽培と共に既に縄文中期に日本列島で知られていた、という事になる。この説によるとハイヌウェレ型神話は芋(あるいは五穀)栽培と共に既に縄文中期に日本列島で知られていた、という事になる<ref>吉田敦彦 『昔話の考古学 山姥と縄文の女神』 中央公論社</ref>。
=== 備考 ===* [[佐原真]]は、考古学の観点・立場からは縄文中期の土偶破壊儀礼に当たる考古資料が[[弥生時代]]や[[古墳時代]]には確認されないことから、日本神話(高天原神話)が縄文時代までさかのぼるという考え方には不安が残るとし、神話の連続性(民俗伝承・文化を考古資料で裏付けようとする時間軸を無視した説)に関しては問題点を呈している(森先一貴 佐原真は、考古学の観点・立場からは縄文中期の土偶破壊儀礼に当たる考古資料が弥生時代や古墳時代には確認されないことから、日本神話(高天原神話)が縄文時代までさかのぼるという考え方には不安が残るとし、神話の連続性(民俗伝承・文化を考古資料で裏付けようとする時間軸を無視した説)に関しては問題点を呈している(森先一貴 近江俊秀 『境界の日本史 地域性の違いはどう生まれたか』 朝日新聞出版 2019年 p.16)。
== 参照 ==

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