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外宮についても、「調御倉神(つきのみくらのかみ)は<ref group="注">外宮の調御倉は倉自体は廃絶したが、調御倉神は御酒殿(みさかどの)で合祀されている。</ref>、'''ウカノミタマ神7''におわす。これイザナギ・イザナミ 2柱の尊の生みし所の神なり。また、'''[[大宜津比売]]とも号す。また、[[保食神]](うけもちのかみ)とも名づく。'''神祇官社内におわす御膳神(みけつかみ)<ref group="注">朝廷の神祇官にある八神殿で、御巫(みかんこ)によって祀られた八神のうちの一柱。</ref>とはこれなるなり。また、神服機殿に祝い祭る三狐神とは同座の神なり。故にまた専女神とも名づく。斎王専女とはこの縁なり。また、稲の霊もウカノミタマ神におわして、西北方に敬いて祭り拝するなり。」と記される。
記紀神話に登場する食物神は、[[天照大神]]や[[天皇]]の食事を司ることから「[[御饌]]津神」(みけつかみ)とも呼ばれるが、ウカノミタマには「三狐神」の字が当てられている。これは関西方言では[[キツネ|狐]]を「ケツ(ネ)」と呼んだことから付けられたといわれる記紀神話に登場する食物神は、天照大神や天皇の'''食事を司る'''ことから「御饌津神」(みけつかみ)とも呼ばれるが、ウカノミタマには「三狐神」の字が当てられている。これは関西方言では狐を「ケツ(ネ)」と呼んだことから付けられたといわれる<ref>『福神』49頁。</ref>。
また、『日本書紀』ではウカノミタマを倉稲魂命と表記し、伊勢神宮でも御倉神として祀られることから、この神は[[五穀]]の神である食物神の中でも、特に稲倉に関係の深い神ではなかったかとも考えられているまた、『日本書紀』ではウカノミタマを倉稲魂命と表記し、伊勢神宮でも御倉神として祀られることから、この神は五穀の神である食物神の中でも、特に稲倉に関係の深い神ではなかったかとも考えられている<ref>『福神』59頁。</ref>。
=== 吉田家神道書 ===
[[室町時代]]に神祇次官・[[吉田兼倶]]が著した『神名帳頭註』の伏見稲荷の条では、「本社。ウカノミタマ神なり。この神はスサノオの娘なり。母はオオイチヒメなり。ウカノミタマ神は百穀を播きし神なり。故に稲荷と名づくか。イザナギの御娘にこの名これ有り。」と記される。室町時代に神祇次官・吉田兼倶が著した『神名帳頭註』の伏見稲荷の条では、「本社。ウカノミタマ神なり。この神はスサノオの娘なり。母はオオイチヒメなり。ウカノミタマ神は百穀を播きし神なり。故に稲荷と名づくか。イザナギの御娘にこの名これ有り。」と記される。
また、同じく神祇次官の[[吉田兼右]]が著したといわれる『二十二社註式』の伏見稲荷の条では、「中社。ウカノミタマ命。この神は百穀を播きし神なり。一名をトヨウケヒメ命という。[[大和国]]の[[廣瀬大社|広瀬大明神]]、伊勢の外宮とは同体の神なり。[[比売神|ヒメ大明神]]と名づく。」と記されている。
=== 伏見稲荷社記 ===
[[ファイル:Hushimi-inari-taisha kitoden.jpg|250px|thumb|right|伏見稲荷・御膳谷奉拝所<br />(中社のあった場所といわれる)]]
[[江戸時代]]になると、伏見稲荷の[[神職]]などによって諸々の由緒記(『水台記』ほか)が著されるが、その多くが稲荷三神<ref group="注">伏見稲荷の上社・中社・下社の神の総称。</ref>の主神をウカノミタマとしている(天倉稲魂命、若倉稲姫魂命、と表記される場合もある<ref>山折哲雄・編『稲荷信仰事典』戎光祥出版、1999年、34頁。</ref>)。本来は稲荷山の上・中・下の三社のうち、中社に鎮座するとされていたが、江戸後期から下社とする記述が増え、現在もそのようになっている。

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