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また『日本書紀』には、神武天皇が戦場で祭祀をした際に、供物の干飯に厳稲魂女(いつのうかのめ)という神名をつけたとあり、本居宣長は『古事記伝』において、これをウカノミタマと同じとしている。
=== 延喜式祝詞 延喜式祝詞・平安時代(927年) ===
神名の「ウカ」は穀物・食物の意味であり、同じ意味の「ウケ」「ケ」を名前に持つ食物の女神<ref group="注">[[豊受大神]]、[[大宜津比売]]、[[保食神]]、ワカウカノメなどが該当し、いずれも食物を司る神として御食津神(みけつかみ)とも呼ばれる。</ref>とは習合していくことになる。平安時代の『延喜式』(大殿祭祝詞)には、[[豊受大神]]の別名ともされる<ref>次田潤『新版 祝詞新講』戎光祥出版、平成20年、250頁。</ref>屋船豊宇気姫命(やふねとようけひめのみこと)が登場するが、この女神について祝詞の注記では「これ稲]霊(みたま)なり。世にウカノミタマという。」と説明しており、ウカノミタマを女神と見なしていたことがわかる<ref name=mituhasi/>。上述した『日本書紀』の厳稲魂女も稲の霊であり、これらの記述から、食物の持つ生命力や稲霊(いなだま)が女性的なものと考えられていたことがうかがえる<ref name=mituhasi/>。
=== 神道五部書 ===
[[ファイル:Mishine-no-mikura 02.JPG|thumb|250px|right|[[御稲御倉]](みしねのみくら)<br/>伊勢神宮・内宮]][[鎌倉時代]]に伊勢神宮で編纂された「[[神道五部書]]」には、[[皇大神宮|内宮]]と[[豊受大神宮|外宮]]の主な社殿と祭神が記されている。その一つ、『御鎮座伝記』では内宮について、「御倉神(みくらのかみ)の三座は鎌倉時代に伊勢神宮で編纂された「神道五部書」には、内宮と外宮の主な社殿と祭神が記されている。その一つ、『御鎮座伝記』では内宮について、「御倉神(みくらのかみ)の三座は<ref group="注">調御倉(つきのみくら)、御稲御倉(みしねのみくら)、[[由貴御倉]](ゆきのみくら)。調御倉は中世末に廃絶した。調御倉(つきのみくら)、御稲御倉(みしねのみくら)、由貴御倉(ゆきのみくら)。調御倉は中世末に廃絶した。</ref>、スサノオの子、ウカノミタマ神なり。また、専女(とうめ)<ref group="注">元々は老女を意味していたが、平安後期にはキツネを指して呼ぶようになった。</ref>とも三狐神(みけつかみ)とも名づく。」と記される。
外宮についても、「調御倉神(つきのみくらのかみ)は<ref group="注">外宮の調御倉は倉自体は廃絶したが、調御倉神は[[御酒殿神#外宮の御酒殿神|御酒殿]](みさかどの)で合祀されている。外宮の調御倉は倉自体は廃絶したが、調御倉神は御酒殿(みさかどの)で合祀されている。</ref>、ウカノミタマ神におわす。これイザナギ・イザナミ 、'''ウカノミタマ神7''におわす。これイザナギ・イザナミ 2柱の尊の生みし所の神なり。また、'''[[オオゲツヒメ大宜津比売]]とも号す。また、[[保食神]](うけもちのかみ)とも名づく。[[神祇官]]社内におわす御膳神(みけつかみ)'''神祇官社内におわす御膳神(みけつかみ)<ref group="注">朝廷の神祇官にある[[八神殿]]で、御巫(みかんこ)によって祀られた八神のうちの一柱。朝廷の神祇官にある八神殿で、御巫(みかんこ)によって祀られた八神のうちの一柱。</ref>とはこれなるなり。また、[[機殿神社|神服機殿]]に祝い祭る三狐神とは同座の神なり。故にまた専女神とも名づく。[[斎王]]専女とはこの縁なり。また、稲の霊もウカノミタマ神におわして、西北方に敬いて祭り拝するなり。」と記される。とはこれなるなり。また、神服機殿に祝い祭る三狐神とは同座の神なり。故にまた専女神とも名づく。斎王専女とはこの縁なり。また、稲の霊もウカノミタマ神におわして、西北方に敬いて祭り拝するなり。」と記される。
記紀神話に登場する食物神は、[[天照大神]]や[[天皇]]の食事を司ることから「[[御饌]]津神」(みけつかみ)とも呼ばれるが、ウカノミタマには「三狐神」の字が当てられている。これは関西方言では[[キツネ|狐]]を「ケツ(ネ)」と呼んだことから付けられたといわれる<ref>『福神』49頁。</ref>。

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