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、 2022年5月22日 (日) 20:37
[[File:Tsukinowaden 月の輪田.jpg|thumb|「月の輪田」(2020年6月田植え直後)]]
'''月の輪田'''(つきのわでん)は、[[京都府]][[京丹後市]][[峰山町]]二箇にある、京丹後市が所有する約7平方メートルの[[田|水田]][[史跡]]<ref group=注釈>国、京都府および京丹後市による文化財としての史跡指定は受けていない。</ref>。[[稲作]]発祥の地とする伝承がある<ref name="産経20130603">{{Cite news |title=江戸時代以来? 稲作発祥の伝承地「月の輪田」で田植え式 |newspaper=産経新聞 |date=2013-06-03 |author= |url=https://www.sankei.com/west/news/130603/wst1306030041-n1.html |accessdate=2018-10-20}}</ref>。「月の輪」の名は[[三日月]]形の田であることに由来し、「三日月田(みかづきた)」ともいう<ref name=峰山郷土史下400p>{{Cite book|和書|author= |title=峰山郷土史 下 |publisher=峰山町 |date=1963 |page=400 |isbn=}}</ref>。
== 由緒 ==
京丹後市峰山町二箇と苗代の間に所在する、三日月形の小規模な田である<ref name=峰山郷土史下315p/>。[[江戸時代]]に編纂された『丹後旧事記』(たんごくじき)などによると、食物の女神・[[トヨウケビメ|豊受大神]]が、[[天照大神]]のために籾種を蒔いて稲作をした場所が、月の輪田であるとされる<ref name="産経20130603"/>。豊受大神は[[丹後国|丹後]]地方で広く信仰される神で、この田で稲を育てて天照大神に献上したという伝承が残る<ref>{{Cite book|和書|author= |title=ひ・み・つの丹後本 |publisher=丹後本制作委員会 |date=2018 |page=37 |isbn=}}</ref>。豊受大神は、古くは月の輪田の付近に所在する[[比沼麻奈為神社]]に鎮座していたと伝えられ、後に[[三重県]]の[[伊勢神宮]][[豊受大神宮|外宮]]に祀られるようになった。
『[[日本書紀]]』神代の巻では、天照大神が[[保食神]]の身から生じた稲種を天狭田と長田に初めて植えたのを稲作の起こりとするが<ref>{{Cite book|和書|author=井上光貞 |title=日本書紀 上 |publisher=中央公論社 |date=1987 |page=103 |isbn=}}</ref>、『丹後旧事記』の校閲者・小松国廉の解説によれば、その場所が月の輪田であるとする<ref name=峰山郷土史下315p/>。ただ、同様に稲作発祥の地とされる伝承は同地区・二箇の八幡神社付近の小字「稲谷」(稲代谷ともいう)にも伝わり、定かではない<ref name=峰山郷土史下316p>{{Cite book|和書|author= |title=峰山郷土史 下 |publisher=峰山町 |date=1963 |page=316 |isbn=}}</ref>。
同様の伝承は他県でもみられ、[[鹿児島県]]では[[霧島市]]霧島田口の「狭名田の長田」が[[ニニギ|瓊瓊杵尊]]により初めて水稲が作られた地であるとする説が伝わり、[[霧島神宮]]の[[神田]]として管理されている<ref>{{Cite web |url=https://www.city-kirishima.jp/kirikan/kanko/bunka/sanada.html |title=狭名田の長田伝説 |publisher =鹿児島県霧島市 |accessdate=2020-06-17}}</ref>ほか、[[種子島]]や[[佐賀県]][[唐津市]]の[[菜畑遺跡]]も稲作発祥の地と伝えられている。
== 歴史 ==
峰山町吉原(かつての安村)に所在する[[式内社]]・[[稲代神社]]にまつわる伝承で「月輪田」が語られている<ref name=峰山郷土史下316p/>。稲代神社の文政5年の棟札には「稲苗代神社」と記載され、しばしば五箇の苗代村と混同されたため、月の輪田は古来、安村にあったとする説と苗代村にあったとする説がある<ref name=峰山郷土史下400p/>。21世紀初頭における'''月の輪田'''は、[[二箇]]から[[苗代]]に通じる道の東側に位置するが、20世紀に耕地整理で場所を移しており、神代の伝承地と同位置ではない。
月の輪田は、江戸時代には水田として使われた記録が残るが<ref name="産経20130603"/>、[[祟り]]があるとして[[地頭|領主]]<ref group=注釈>江戸時代の峰山地域は[[京極氏#高知流 (丹後京極家)|京極家]]が治める[[峰山藩]]の一部であった。</ref>も[[年貢]]を課すのを忌避した<ref name=峰山郷土史下315p/>。また、耕作しないのも二箇・苗代の両村に祟りがあるといわれ、[[昭和|昭和時代]]前期には身を清めた二箇村の者が稲を育て、1斗2~3升の[[精米]]を[[初穂]]として伊勢の[[御師]]幸福出雲太夫に奉納し、藁はすべて田に戻して翌年の肥料としていた<ref name=峰山郷土史下315p>{{Cite book|和書|author= |title=峰山郷土史 下 |publisher=峰山町 |date=1963 |page=315 |isbn=}}</ref>。しかし、昭和30年代以降は[[耕作放棄地]]とした。
[[2013年]]([[平成]]25年)、丹後建国1300年を記念して地域の歴史を再認識しようと、京丹後市と二箇地区が月の輪田の復興を企画し、地域住民らが耕作を行っての[[古代米]]栽培が始まった。同年の田植え式では、[[京都府知事]]の[[山田啓二]]や地元区長らが、[[田の神#早乙女|早乙女]]姿の女性らとともに古代米の[[田植え]]を行い、秋には収穫した米を伊勢神宮に奉納した<ref name="産経20130603"/>。[[2014年]](平成26年)以降は、稲穂は約2週間、天日で干した後に脱穀し、地元で消費する<ref name="産経20141021"/>。
== 祭事 ==
初夏に古代米の田植え式を行い、秋に収穫した米を、時折伊勢神宮へ奉納する<ref name="産経20130603"/>。奉納時期はまちまちで、復興の年の2013年(平成25年)は12月11日、翌年は年明けの2015年(平成27年)2月21日に奉納された<ref>{{Cite web |url=https://www.ise-cci.or.jp/hounouichi/contents/det.php?no=20131126092251 |title=二箇区「月の輪田」保存会 |publisher =伊勢商工会議所|accessdate =2018-10-20}}</ref>。
2014年(平成26年)は、5月25日に古代米の赤米と餅米の苗植えを行い、10月18日に稲刈り式を行った<ref name="産経20141021">稲作発祥の地「月の輪田」で稲刈り式 京丹後 , 産経新聞 , 2014-10-21 , https://www.sankei.com/west/news/141021/wst1410210035-n1.html , 2018-10-20</ref>。
== 関連史跡「清水戸」 ==
苗代集落の交差点に、「清水戸(せいすいど)」と呼ばれる石で囲われた5尺四方、深さ3尺の井水があり、二箇集落に隣接する五箇集落の伝承『五箇村郷土誌』によれば、豊受大神が五箇ではじめて農耕を行った際、籾を浸した場所であるとする<ref name=峰山郷土史下316p/>。「いざなぎや 種をひたする清水戸 五穀始まる これぞ苗代」の古歌が伝え残されている。ここでいう「いざなぎ」は磯砂山を意味する<ref name=峰山郷土史下316p/>。
== 現地情報 ==
所在地は、二箇区民館(京都府京丹後市峰山町二箇八反田245)付近<ref name=月の輪田>稲作発祥の地 月の輪田 , 二箇区「月の輪田」保存会 , 2013</ref>。
周辺の旧跡に、二本松稲荷の祠と柿木地蔵がある<ref name=峰山郷土史下316p/>。
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注釈}}
=== 参照 ===
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Tsukinowaden}}
* [https://jl3gwm.wixsite.com/mooncirclehp 月の輪田と清水戸]
* [https://www.facebook.com/月の輪田-198268173867248/ 月の輪田フェイスブック]
* [https://www.ise-cci.or.jp/hounouichi/contents/det.php?no=20131126092251 伊勢神宮外宮 二箇区「月の輪田」保存会]
{{DEFAULTSORT:つきのわてん}}
[[Category:日本神話]]
[[Category:京都府]]