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アイルランドの類話に「[[ノックグラフトンの伝説]]」があるが<ref name="goodwin">Goodwin, Charles Wycliffe (1885). [https://archive.org/details/in.ernet.dli.2015.70888/page/n169/mode/2up On Some Japanese Legends]. 3. 46-52</ref><ref name="yamagishi">山岸, 徳平『[https://books.google.co.jp/books?id=W8mxAAAAIAAJ&q=%22%E3%83%8E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E3%83%B3%22&redir_esc=y 説話文學研究]』有精堂出版、1972年、56, 232。</ref><ref>アイルランド民話との類似性は、日本に派遣されていた裁判官チャールズ・ウィクリフ・グッドウィン(Charles Wycliffe Goodwin)が1875年に学会発表したが、公に刊行されたのは1885年である。だがその間の1878年にジョルジュ・ブスケがグッドウィンの考察として発表している。</ref>、ここでは「月曜日、火曜日、」という囃子に水曜日を付け加え小人たちに喜ばれたたラズモアは背瘤を除去してもらい、同じくあやかろうとしたジャック・マドンは木曜日を余計に足して怒りを買い、元の瘤の上に二つ目の瘤を植えつけられ、それがもとで死んでしまう<ref>"lusmore"というアイルランド英語のもとはアイルランド語の"lus mór"(大いなる野草)である。井村訳は「ラズモア」と訓じたが、元のアイルランド語に忠実に発音するなら濁音にならない「ルスモール」あたりが正しいだろう(ただ"Lismore"の「リズモア」と「リスモア」のようにカナ表記はぶれると思われる)。</ref><ref>「ノックグラフトンの伝説」『ケルト妖精物語』筑摩書房、1986年、94-103頁。</ref>。
また[[グリム童話]]に収載される「[[こびとのおつかいもの|小人の贈り物]]」も類話でありまたグリム童話に収載される「小人の贈り物」も類話であり<ref name="seki-taisei-p271" />、そこでは一人目の翁(または職人)に瘤がない。
西アジア・北アフリカのイスラム圏では、公衆浴場で悪魔が宴会をしていて、瘤を取られる話がある(二回目は葬式をしていて、ふざけた踊りに悪魔が怒り出す){{cn|date=2020年4月}}<sup>''(要出典:2020年4月)''</sup>
日本の話型は、[[アールネ・トンプソンのタイプ・インデックス|AT]]503A「天狗の贈り物」に細分類されているが日本の話型は、AT503A「天狗の贈り物」に細分類されているが<ref name="antoni" />、世界の類話はAT503「小人の贈り物」に属している<ref name="iwase" >岩瀬, 博『伝承文芸の研究: 口語りと語り物』三弥井書店、1990年、64頁。</ref><ref>{{sfn||, 1974|p=322}}, p322</ref>
== 分析 ==
この話のテーマは鬼による山中のお堂や祠の近くでの酒盛りと踊りであり、これは[[修験道|山伏]]のおこなう[[延年]]の舞(出峰蓮華会の延年)だとの考察があるこの話のテーマは鬼による山中のお堂や祠の近くでの酒盛りと踊りであり、これは山伏のおこなう延年の舞(出峰蓮華会の延年)だとの考察がある<ref>{{harvnb|五来|1991}}、『鬼むかし』所収「瘤取り鬼と山伏の延年」の章, 1991、『鬼むかし』所収「瘤取り鬼と山伏の延年」の章</ref>。
また鬼の代わりに天狗が出てくる話もあり、[[山の神|山神]]、山霊の司霊者である山伏はしばし天狗と一体化される。昔は顔などに大きな瘤や肉腫を持った老人が多く、貧民は手術でとることもできず、出峰した山伏は村人、信者を金剛杖で打ち病気を治すが、これも瘤を取る宗教的呪術にあたる。瘤を取るとか厄を払うという呪術は入峰中に蓄積された験力の発揮であり瘤取り爺(鬼)のメインテーマは山伏の延年と呪験力である。また鬼の代わりに天狗が出てくる話もあり、山神、山霊の司霊者である山伏はしばし天狗と一体化される。昔は顔などに大きな瘤や肉腫を持った老人が多く、貧民は手術でとることもできず、出峰した山伏は村人、信者を金剛杖で打ち病気を治すが、これも瘤を取る宗教的呪術にあたる。瘤を取るとか厄を払うという呪術は入峰中に蓄積された験力の発揮であり瘤取り爺(鬼)のメインテーマは山伏の延年と呪験力である。
験競の験力は究極すれば活殺自在といえるが、こうした力があれば病気を治すことも瘤を取ることも自在であると信じられたはずである。山から下った来訪神が不幸や災いを払って歩く様子を山伏が真似たものであり、験競の場には入峰で得たあらたかな験力で病気を治してもらおうとする人々が集まり、その中に瘤・肉腫をもった老人もいて山伏が印を結び呪文を唱えて気合をかければ跡形もなく取れた、と言うような話が『宇治拾遺物語』の説話へと変化していったのであろう。
木こりの爺が雨に会い山神の神木である大木の洞に入り、この木の前に鬼が出現するので山伏の延年がおこなわれる必然性が説明できる。鬼は山神をあらわすがときに死霊的性格を持ち、このような洞穴から出入りする鬼は霊物のイメージがあり古代にはそれが墓であり古代の横穴洞窟葬を意味するからである。
また爺さんの前に現れる鬼も、山中の淋しいお堂や大木の洞に入りそこで寝た経緯が、民話「[[化物寺]]」の廃寺に泊まり化け物に会うというくだりに似ており、話中の化け物寺の話の筋や歌が瘤取りの話に入り瘤取り爺さんの歌へと変化したものである。その鬼も「目一つ」や「口なき物」等100人あまりというのは「[[百鬼夜行]]」を表しそれを総じて鬼の一群と言い、また鬼である山神は眷属のお伴を連れ歩くと信じられており、その眷属は山神の子孫の霊物化であり、これが百鬼夜行の群行となり、話中の大将、親分の鬼は群れの中心の山神のことである。また爺さんの前に現れる鬼も、山中の淋しいお堂や大木の洞に入りそこで寝た経緯が、民話「化物寺」の廃寺に泊まり化け物に会うというくだりに似ており、話中の化け物寺の話の筋や歌が瘤取りの話に入り瘤取り爺さんの歌へと変化したものである。その鬼も「目一つ」や「口なき物」等100人あまりというのは「百鬼夜行」を表しそれを総じて鬼の一群と言い、また鬼である山神は眷属のお伴を連れ歩くと信じられており、その眷属は山神の子孫の霊物化であり、これが百鬼夜行の群行となり、話中の大将、親分の鬼は群れの中心の山神のことである。
異形の者たちによる集会は、上田秋成の『[[春雨物語]]』でも取り上げられており、若者が近江老曾(おいそ)の森で、一つ目の神、法師、修験者、妖怪、言葉を話す狐、猿、兎らによる宴に出くわす「目ひとつの神」という話がある。異形の者たちによる集会は、上田秋成の『春雨物語』でも取り上げられており、若者が近江老曾(おいそ)の森で、一つ目の神、法師、修験者、妖怪、言葉を話す狐、猿、兎らによる宴に出くわす「目ひとつの神」という話がある。
=== 隣の爺型の否定 ===
*瘤が2つになった翁は「花咲か爺」にでてくるような「意地悪じいさん」ではなく、むしろ1人目の翁の話を真に受けて「馬鹿正直に」、かつ自分から瘤を除去しようと「積極的」に、怖い鬼の出る場所に出かけていく「勇気」のある行動ができる(踊りは下手であっても)本当はとても「[[正直]]で、努力家の良いじいさん」であり、2つの瘤を恥じ家にこもって家業に精を出したので、後に金持ちになって「こぶの御大尽」や「瘤の長者」と呼ばれ、近郷近在では知らぬものが無いほどの[[長者|分限者]]になった。
*1人目の翁は「正直じいさん」などではなく、「きっと次の日もくるから」などと調子のいいこと(うそ)を言っておきながら鬼との約束を「反故」にしたうえ、次の日の結果(瘤を返されること)が予想できるのに隣の翁に代役を押し付けた(瘤が質草である件は隠した叉はぼかして教えた)「とても性格の悪い、[[嘘つき]]じいさん」であり村人からは「鬼までだました悪いやつ」と言われ、皆が避けるようになり村八分になってしまう。(「本当は怖い日本昔話」など。漫画化もされている。)
 
== 派生作品 ==
[[太宰治]]作の『[[お伽草紙 (太宰治)|お伽草紙]]』の「瘤取り」は、[[阿波国]]の設定で書かれている<ref name="dazai-awa" />。主人公の翁は[[阿波踊り]]を披露して鬼の喝采を得、瘤を質にとられるが、酒好きで孤独な翁にとって「瘤」は可愛い孫のように愛しく孤独を慰める存在であった。逆に隣の翁は、地元の名士で、瘤を心底憎んでいた。ところが鬼の前で「是は阿波の鳴門に一夏(いちげ)を送る僧にて候。さても此浦は平家の一門果て給ひたる所なれば…」などと、その地の平家滅亡が主題の謡曲『[[通盛]]』を披露して閉口される{{sfn|太宰治|1945}}。<!--(世界文化社『ふるさとの民話』[の東北編]でも[隣の翁の方が踊りは上手という設定が]採用されている)-->
 
[[野村万作]]の新作狂言「こぶとり」も太宰原作の設定を踏襲。四国を舞台にした修羅能「[[八島 (能)|八島]]」を見事に舞う隣の翁を野村が演じている。
 
=== 近年のアレンジ ===
近年の絵本版やアニメ版には様々なアレンジが加わっている。
 
例えば、二番目の翁は、単に舞が不得手だったのではなく、性格も悪かったという脚色がみられる。アニメーションテレビ番組『[[まんが日本昔ばなし]]』で紹介されたストーリーが、そのような「正直じいさんが得をし、意地悪じいさんが損をする」例である<ref>[[1975年]](昭和50年)[[1月7日]] 第1回放送の[[まんが日本昔ばなし#各話リスト|第1話]]</ref>。
 
さらには、瘤が増えて落ち込む意地悪な翁に陽気な翁が歌と踊りを教えて元気付け、意地悪な翁は立ち直り、村人とも上手く付き合えるようになる、という展開もある<ref>「こぶとりじいさん (日本昔ばなしアニメ絵本 (8))」佐々木昇 (著), やまだ三平 (イラスト)</ref>。別の絵本では、瘤が二つとも自然にとれる<ref>「こぶとり」アニメ昔ばなしシリーズ4(平田昭吾、永岡書店 1997年)</ref>。
 
[[夢枕獏]]には「陰陽師 瘤取り晴明」(イラスト:[[村上豊]])という作品がある。頬に瘤のある双子は、京の都では有名な薬師で安倍晴明の知人という設定{{Efn2|本書は、夢枕獏の公式ホームページ上で連載されたものである。「宇治拾遺物語」を踏まえ、[[京都]]が舞台になっている。}}<ref name="yumemakura" />。
 
[[夏目房之介]]が『[[デキゴトロジー]]』で扱ったパロディ:「あるところに、小太りのじいさんがいた。おしまい」<ref name="dekigotology" />。
 
[[ひろさちや]]『昔話にはウラがある』でも、「こぶとりじいさん」とは「小太りなおじいさん」だと思っていた若い女性の話題が登場する。話を語ってきかせると、「それはおかしい。こぶを取ったのは鬼で、じいさんは取られたのだから、こぶとられじいさん が正しい」という反論があったという<ref name="hiro" />。
 
=== 郵便切手 ===
日本郵便「こぶとりじいさん」[[切手]]では「裕福だが無信心な翁」と「貧乏だが信心深い翁」(作画者の[[片岡球子]]による設定)および「宇佐神宮(八幡宮)の分社らしき山奥の神社の鳥居」「団扇を持った鼻の高い天狗」が描かれている。
 
切手の絵は、一般に普及している話と若干異なり、素早く逃げ出そうとした隣の翁が天狗たちに背を向けたため、[[耳]]の後ろに瘤をつけられた作画になっている。
== 脚注 ==

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