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9 バイト追加 、 2022年4月2日 (土) 19:45
=== 私見 ===
本文中にもあるが、'''近世以前の日本では、人数が集まる催しの際に余所から膳や椀を借りるという状況はしばしば発生した'''のであって、通常は裕福な親戚がいればそこから借りたであろうし、裕福な「本家」とかそういう立場の家があれば、「分家」とか「子分」と言われた立場の家の催しに対して椀や膳を貸すことは、「'''目上の者の役目の一つ'''」であったとも思われる。よって、椀や膳をたくさん持っている、ということは農村地帯では」であったとも思われる。よって、椀や膳をたくさん持っている、ということは日本の農村地帯では'''富貴'''の象徴であって、異界に住む特別な存在が、「存在が特別である」というだけでなく、裕福であって、親しく、正しく付き合っている人に対しては豊穣をもたらしてくれるものである、との象徴の物語が「椀貸」ではないか、と思う。西欧の異界の住人が、英雄達に特別な武器や馬を授けてくれるのと同じで、日本の田舎の農村では、「椀や膳を快く貸してくれる」ことが、異界の住人の好意の表れであるだけなのだと思う。
西欧では、異界の住人から得た武器などは、時に呪われていて、持ち主やその一族に不幸をもたらす。日本の「椀貸」は、人々にとって得になることの伝承のように見えるが、結末は結局「何故、今は椀を貸して貰えないのか」という理由付けで終わるものが多い。「'''異界の住人から、通常ではない状態で受けた恩恵は、時に呪いや祟りの原因となる'''」という思想は西欧と日本で共通しており、興味深いと感じる。

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