現在に伝わる河童のミイラや河童の骨などと呼ばれるものは、多くは江戸時代のミイラ造形師が他の動物の一部を組み合わせて作った物である。好んで用いられたのはエイと猿で、このほかフクロウの頭部を使ったものもある。また河童の手首のミイラと呼ばれるもののほとんどはニホンカワウソのものである。
福岡県の北野天満宮には「河伯(かはく)の手」と呼ばれる河童の手のミイラがあり、901年に菅原道真が筑後川で暗殺されそうになった際、河童の大将が彼を救おうとして手を切り落とされた、もしくは道真の馬を川へ引きずり込もうとした河童の手を道真が切り落としたものとされる<ref>宮本幸枝・熊谷あづさ, 日本の妖怪の謎と不思議, 2007, 学研ホールディングス, GAKKEN MOOK, isbn:978-4-05-604760-8, 33頁</ref><ref>http://www.kitano.or.jp/tenmanguu/rekisi.htm, 北野天満宮の歴史, [http://www.kitano.or.jp/ コスモスの町きたの], 北野町商工会, 2009-01-3131(リンク切れ:22-04-01)</ref>。
また、佐賀県伊万里市山代町の松浦一酒造には河童全身のミイラが祀られており、地元では「河童の酒蔵」として有名である。<ref>http://www.matsuuraichi.com/, 松浦一酒造HP, =2010-02-6</ref>