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== 信仰 ==
タケミナカタは、前述の諏訪大社のほか、諏訪大社から勧請された全国の[[諏訪神社]]で祀られている。軍神のほか、農耕神・狩猟神・風の神としても信仰された。タケミナカタは、前述の諏訪大社のほか、諏訪大社から勧請された全国の諏訪神社で祀られている。軍神のほか、農耕神・狩猟神・風の神としても信仰された。
===風の神として===『日本書紀』の[[持統天皇]]5年(681年)8月の条に、「使者を遣わして、[[龍田大社|龍田風神]]、信濃の須波・[[健御名方富命彦神別神社|水内]]等の神を祭らしむ」とあり、諏訪の神は奈良時代以前に既に朝廷に風の神・水の神として崇敬されていたことが分かる{{efn|なお、「須波神」はタケミナカタではなく、ミシャグジ『日本書紀』の持統天皇5年(681年)8月の条に、「使者を遣わして、龍田風神、信濃の須波・水内等の神を祭らしむ」とあり、諏訪の神は奈良時代以前に既に朝廷に風の神・水の神として崇敬されていたことが分かる<ref>藤森栄一『諏訪大社』中央公論美術出版、1965年、24頁。</ref>または守矢神(洩矢神)なお、「須波神」は建御名方神ではなく、ミシャグジ(藤森栄一『諏訪大社』中央公論美術出版、1965年、24頁。)または守矢神(洩矢神)<ref>宮坂光昭「強大なる神の国―諏訪信仰の特質」『御柱祭と諏訪大社』筑摩書房、1987年、17、31-33頁。</ref>とする説もある。}}<ref>{{Cite book|<ref>和書|year=, 1986|title=, 諏訪大社|author=, 矢崎孟伯|series=, 銀河グラフィック選書 3|publisher=, 銀河書房|page=22}}, p22</ref>。その影響か、平安時代に入ると諏訪には風鎮めを祈願した「[[風の祝]](ほうり)」がいるという流説が広まった。。その影響か、平安時代に入ると諏訪には風鎮めを祈願した「風の祝(ほうり)」がいるという流説が広まった。
諏訪地方には古くから、暴風を凪ぎる(鎮める)ために鎌を竿の先に結びつけて風の方向に立てる習慣があるが、このために使われる鉄製の'''[[薙鎌]]'''(なぎかま)は諏訪明神の御神体ないし[[御幣|御神幣]]とみなされる場合もある。薙鎌は蛇(龍)または鳥にも見える形をしているが、これは[[五行思想]]では金気(鳥=[[酉]]は金気)が木気(風)に勝つもの(金剋木)と考えられていたからである<ref>矢崎孟伯 『諏訪大社』 銀河書房〈銀河グラフィック選書 3〉、1986年、98-99頁。</ref><ref>寺田鎮子、鷲尾徹太『諏訪明神―カミ信仰の原像』岩田書院、2010年、77頁。</ref><ref name="shiori13-14">『神長官守矢史料館のしおり』 茅野市神長官守矢史料館編、2017年、第三版、13-14頁。</ref>。

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