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206 バイト除去 、 2025年2月11日 (火)
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崇神天皇8年12月に天皇は、大田田根子に「大神」(おおみわのかみ)を祀らせた、という。この大田田根子が三輪君の始まりだという<ref>『日本書紀』崇神天皇8年12月20日条</ref>。
『古事記』にある物語は、これほど煩雜ではないが、大筋は同じで、崇神天皇の時、疫病が流行で人民が多く死に、天皇の夢枕に大物主大神が現れ「意富多々泥古(おおたたねこ)という人に自分を祭らせれば、祟りも収まり、国も平安になるであろう」と神託を述べた。天皇はその人物を捜し出し、意富多々泥古命に三輪山の神を祭らせ、[[古事記伊香色雄|伊迦賀色許男命]]』にある物語は、これほど煩雜ではないが、大筋は同じで、(いかがしこをのみこと)に天(あめ)の八十(やそ)びらかを作らせて、天神地祇(あまつかみくにつかみ)を定め祭らせた、という話は同じである。ただ、こちらは「神の血を引く子」で、大物主大神と、[[崇神天皇賀茂建角身命|陶津耳命]]の時、疫病が流行で人民が多く死に、天皇の夢枕に大物主大神が現れ「意富多々泥古(おおたたねこ)という人に自分を祭らせれば、祟りも収まり、国も平安になるであろう」と神託を述べた。天皇はその人物を捜し出し、意富多々泥古命に三輪山の神を祭らせ、伊迦賀色許男命(いかがしこをのみこと)に天(あめ)の八十(やそ)びらかを作らせて、天神地祇(あまつかみくにつかみ)を定め祭らせた、という話は同じである。ただ、こちらは「神の血を引く子」で、大物主大神と、陶津耳命(すえつみみのみこと)の娘の活玉依毘売(いくたまよりびめ)の3代目の孫である。さらに、活玉依毘売がどうして神の子を産んだのか、という物語も語られている(すえつみみのみこと)の娘の活玉依毘売(いくたまよりびめ)の3代目の孫である。さらに、活玉依毘売がどうして神の子を産んだのか、という物語も語られている<ref name="kojiki"/>。
大田田根子が登場するのはここまでであるが、このことから、崇神天皇が[[大和国]][[三輪山]]の神を祭ることで、祭政一致の政策を行い、さらに、海外も含めた周辺の諸国の統一に着手していることも分かる。大田田根子が登場するのはここまでであるが、このことから、崇神天皇が大和国三輪山の神を祭ることで、祭政一致の政策を行い、さらに、海外も含めた周辺の諸国の統一に着手していることも分かる。
== 参考文献 ==
* Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%94%B0%E7%94%B0%E6%A0%B9%E5%AD%90 大田田根子](最終閲覧日:25-02-09)
* {{citation|和書|author=[[荻原浅男]] 訳|title=* 荻原浅男訳, 古事記|series=, 完訳日本の古典1|publisher=, 小学館|year=, 1983|, isbn=:4095560010}}
* <cite id="kojiki">{{Cite web|url=http://www.seisaku.bz/kojiki_index.html|title=古事記、全文検索|accessdate=2019-11-16}}</cite>
* {{citation|和書|author=[[坂本太郎 (歴史学者)|坂本太郎]] 訳|title=日本書紀|volume=1|publisher=岩波書店|series=岩波文庫|year=1994|isbn=4003000412}}
* <cite id="sadaron">{{Cite web|和書|author=サダロン|url=https://blog.goo.ne.jp/sadalon/e/4a0edebe7775bd1627c05852928abd51|title=106 オオタタネコの謎 - 小春奈日和|date=2013-2-28|accessdate=2019-11-16}}</cite>
* 鈴木正信『日本古代氏族研究叢書4 大神氏の研究』雄山閣、2014年。
** 鈴木正信『古代氏族 大神氏』筑摩書房、2023年。
== 関連項目 ==
* [[葛城国造]]:大田田根子の母は葛木氏とされる。
* [[大神神社]]
* [[大神氏]]
* [[ホツマツタヱ]]-江戸時代の偽書という説が濃厚であるが、後編は大田田根子が著したとされている。
== 脚注 ==

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