差分

ナビゲーションに移動 検索に移動
== 私的考察 ==
『延喜式』所載の祝詞には、記紀と異なり、荒ぶる火の神の害から民を守るために、[[伊邪那美命]]が火鎮めの神として埴安姫を生んだという挿話がある。このため埴安姫は「'''鎮火の神'''」としても祀られ、愛宕神社や秋葉神社など火除の神社でも重要な祭神となっている。埴安姫が鎮火の神功を有するのは、古代には火災の消火に土や泥が用いられていたことを象徴しているとも考えられている<ref>Wikipedia:[https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8B%E3%83%A4%E3%82%B9 ハニヤス](最終閲覧日:225-01-30)</ref>。当社では火防のために埴安姫を祀り「火で焼いたもの(瓦)」を禁忌とする伝承ができたのではないだろうか。
 
=== 手子比売命との関連 ===
神栖市の手子后神社では「手子比売命」を祭神としているが、こちらでは埴安姫命が祭神となっている。何か、祭神を是非とも埴安姫命にしなければならない、といった事情がかつては存在したのだろうか。どちらの神社にも「松」と女神が一体化するような伝承があるので、元は「同じ女神」を祀っていたものと思われる。おそらく、こちらに伝わる「松の葉」の伝承の方が、各地に類話がみられ、古い形式の話と思われる。ただし、女神が「'''誰'''」に害されて怪我をしたのか、という点は意図的に削除されたのかもしれないが、欠落している。神栖市の伝承を見るに、女神は'''寒田の郎子(いらつこ)'''に害され、殺された、いわゆる「に害され、殺された、とするのが本来の伝承で、手子比売命はいわゆる「[[吊された女神]]」と考える。
== 参考文献 ==

案内メニュー