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== 日本国内の事情 ==
古代におけるローマ・カトリックの布教方法は、ヨーロッパの場合、まず宣教師が出先に出向き「'''我々の神とあなたがたの神は同じである。'''」と説き、相手方の神々の内、都合の良いものは「同じもの」として残し、都合の悪いものは排除する。そうして、都合良く残された神は、キリスト教の聖人などに変えて再利用する。一方、支配者階級の者たちには、ローマの進んだ行政、司法、統治の制度、優れた先進的な物品を与えて、改宗することのメリットを説く、というものだったと感じる。
「'''我々の神とあなたがたの神は同じである。'''」と述べるのが容易なのは、古代のヨーロッパはどこでも印欧語族的な多神教を信じていたからで、神々の機能、構成がみな似通っていたからこそできることである。しかし、ヨーロッパから遠く離れた東洋では、この理論がまず通用しにくくなる。中国でも日本でもそうだが、遠い先祖は神として祀る、近い先祖は神ではないけれども供養して祀る、何かの災害の犠牲者も慰撫するために祀る、地域の偉人は死後もその偉大さにあやかったり称えたりするために神とされたりする等々の傾向があり、そもそも「祀られる対象の幅が広く際限なく増える」、かつ「祀られる対象が神とされていることもあるし、神とされていなくても祀られることがある。彼らの境界の定義も曖昧である。」ということになる。時代が下って、宗教というものがはっきりしてくると、精神的・教義的な概念も神として扱われるようになってくる。そのため、東アジアの「多神教」ほど混沌として収集がつかなくなってくるもののように感じられる。とても西洋的な「多神教」の概念では網羅しきれない要素があったのではないだろうか。

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