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'''ローマ教'''とは、日本の神話に対して、古代に影響を与えたと思われる古代のローマ・カトリックとその周辺の思想を指す。とは、日本の神話に対して、古代に影響を与えたと思われる'''古代のローマ・カトリックとその周辺の思想'''を指す。'''管理人の造語である'''。本項では管理人がこのように定義した根拠を述べる。
== 前提 ==
比較伝承学は子供の頃からの憧れの学問である。ただし、民族学者の柳田国男ではないが、このような分野を志す人には何か心霊的な原体験があって、それを自らも不可解に感じるからこそ追求したい、と考える人がいても不思議ではないと思う。管理人もその例に漏れないところがある。よって、神霊的なもの、あるいは「魂」と呼べるようなものを、信じているのか、と問われれば信じている、と答える。
でも、管理人が考える「神」というのは、宗教というものが人類の歴史に登場する前から存在していたし、この先、宗教というものが廃れてしまったとしても存在するであろうものなのだ。これを定義するならば、フレイザーの述べる「共感呪術」という言葉が一番合うようにも思える。でも、管理人が考える「神」というのは、宗教というものが人類の歴史に登場する前から存在していたし、この先、宗教というものが廃れてしまったとしても存在するであろうものなのだ。これを定義するならば、フレイザーの述べる「共感呪術」という言葉が一番合うようにも思える。日本人が祖神や土地の神を敬い、神社を参拝したり、供養したりするのは、それが'''代々続けられてきた'''神霊達に対する作法であるからではないだろうか。そのようにして神霊達の存在を肯定しているともいえる。これを先祖から子孫に至るまでの「共感呪術」と言わずしてなんと言うのだろうか、と管理人は考える。
よって、霊的なものの存在は信じるけれども、宗教は信じていない。神を感じるのに、宗教は必要ない。管理人はまずそう考える人物である。
== 教会というもの ==
『古事記』によれば、天地開闢の時、最初に天之御中主神(あめのみなかぬし)が現れ、その次に高天原に出現したとされるのが'''高御産巣日神'''(たかみむすび)という神である聖書における教会の定義を挙げる。 <ref name="Y" />。この次に[[神産巣日神]](かみむすび)が出現した。子に思金神(おもいかね)、万幡豊秋津師比売命(よろづばたとよあきつしひめのみこと)がいる<ref name="Y" />
天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神は、共に造化の三神とされ、いずれも性別のない神、かつ人間界から姿を隠している「独神(ひとりがみ)」とされている<ref name="Y" />。ただし[[神産巣日神]]を'''女神'''、高御産巣日神を'''男神'''とする説がある。
この造化三神のうち、高御産巣日神と神産巣日神は、その活動が皇室・朝廷に直接的に大いに関係していると考えられたため、神祇官八神として八神殿の第一と第二神殿で祀られた<ref name="NI" />。
高御産巣日神は、『日本書紀』では天地初発条一書第四に「又曰く〜」という形式で登場しており、また神代下では高天原から葦原中国に神などを降ろす神として主に記述され、巻十五の「顕宗紀」では阿閉事代が任那に派遣され壱岐及び対馬に立ち寄った際に名前が登場し、'''月神と日神の祖であり天地を創造した功績があった'''とされている。また、『延喜式』「祝詞」・「出雲国神賀詞」では「'''神王高御魂命'''」とされている。
== 系譜 ==

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