=== 星の池 ===
由来:
<blockquote>星神天神宮その昔、宍道湖、中海に面した星神山に、夜は霊火が出ることがあったと言う。星上の池に空の星がうつり、日本海航海者はその星上の池の星のうつりを目標にしたと言われ、夜の航海者にとって絶好の目標物にされてきた。科学者の言によると、山陰地方独特の気流現象の時は、空の月が、その池に反射することにより、霊火の出ることもあると言われている。月を星と見るのも古代航海者らしい見方であろう。また、この池の清濁によって吉凶が占われ、古くから神聖な池とされてきた。<br>挪冨乃夜(ナフノヤ)神社(出雲風土記の社一二五〇年前)<br>祭神 星神香々背男命(カカセオノミコト)<br>外、妙見神 八幡宮 稲荷神社<br>この山は海抜四五四米の高山で、その昔星の神(病気六三祭又日頃星のまわりが良い悪いという'''星まわりの守護神''')さまが、この池に天降り鎮まりました霊場です。星神山と言うのもこれから来たのです。近郷近村の人々の悪病を除き、延命長寿幸福を祈る善男善女は、この星神山を信仰していました。神社後方約一〇〇米下に'''星の池'''があります。この池は古くは三つあったが、今は一つ残っています。この池の水が濁る時は、その年は水害の年と古くより伝えられ、神聖な池とされています。星神さまの霊験(オカゲ)は数多く人々の幸福の導き神として鎮まっています。<br>大餅祭(オモチサイ)一月十七日氏子を始め、近郊より各々大餅(一五〇キログラム)を作り丸太棒(直径一八センチ 長さ五メートル)二本ではさみこの社にかつぎ上げそなえたが、明治中頃より餅も十五キログラム重ね餅としこしき台にのせてそなえるようになった。七月十六日夜古くは歌合せの奉納祭があったが、今は当時の石碑がなごりをとどめている「出雲観音記」によると、第四十五代聖武天皇の時代、天平二年(七三〇年)十月、揖屋浦の漁夫が中海に出漁中、<ref>[https://flat-shrine-shimane.localinfo.jp/posts/32584972/ 那富乃夜(なほのや)神社]、ふらっと神社 島根編(最終閲覧日:25-01-08)</ref>。</blockquote>
== 私的考察 ==