'''コンラ''' (Connla) 、あるいは'''コンラッハ''' (Conlaoch) はアルスター物語群の説話『アイフェの一人息子の最期(Aided はアルスター物語群の説話『[[オイフェ|アイフェ]]の一人息子の最期(Aided Óenfhir Aífe)』に登場する[[クー・フーリン]]と[[オイフェ|アイフェ]]の間の息子。父親以上の武芸者であったが<ref group="†">特にジェフリー・キーティング(Geoffrey Keating)の『アイルランド史(Foras Feasa ar Éirinn)』は「コンラッハはクー・フーリンを圧倒していた」と直接的に記している(Keating, 1908, p218-219)。</ref>、クー・フーリンのみが持つ槍[[ゲイ・ボルグ]]の一撃を受け死亡したとされる。
== 写本の記述 ==
いよいよクー・フーリンが男児の元へと出向く事となった。
事情に通じていた<ref group="†">理由については説明されない。</ref>クー・フーリンの妻エウェルは彼を引き留め、男児は彼とアイフェの間の息子コンラ<ref group="†">『レカンの黄書』の版でコンラという名前に触れられるのはここが初めてとなる。</ref>であることを伝え、彼にとっても一人息子であるコンラと対決してはならないと訴えた。しかしクー・フーリンは男児が自らの子であったとしても、アルスターの誇りのため彼を殺すつもりだと答え、彼女を退けて海岸へと向かいコンラと対峙した。クー・フーリンは自身の名を明かさねば死ぬこととなると最後通告を行ったが、これも聞き入れられず父子の対決が始まった。最初は剣で、次は組み打ち であることを伝え、彼にとっても一人息子であるコンラと対決してはならないと訴えた。しかしクー・フーリンは男児が自らの子であったとしても、アルスターの誇りのため彼を殺すつもりだと答え、彼女を退けて海岸へと向かいコンラと対峙した。クー・フーリンは自身の名を明かさねば死ぬこととなると最後通告を行ったが、これも聞き入れられず父子の対決が始まった。最初は剣で、次は組み打ち (imthrascrad) で戦い、最後には海で互いを溺れさせようとしたが、いずれもコンラが優勢であった。そこでクー・フーリンはスカータハが彼のみに授けた槍で戦い、最後には海で互いを溺れさせようとしたが、いずれもコンラが優勢であった。そこでクー・フーリンはスカータハが彼のみに授けた槍[[ゲイボルグ]]でコンラをだまし討ちした。槍を受け、コンラのはらわたは足元にこぼれ落ちた。でコンラをだまし討ちした。槍を受け、コンラのはらわたは足元にこぼれ落ちた。
虫の息のコンラを連れてクー・フーリンはアルスター人の元に戻り、彼が自らの子であると彼らに紹介した。コンラは自らがアルスターに参加していれば、5年もあれば敵を全て倒し、その王権は遥かローマにまで届くところであったと惜しみ、アルスター人たちに別れの挨拶を告げた後に事切れた。彼の墓が建てられた土地はこれに由来して 虫の息のコンラを連れてクー・フーリンはアルスター人の元に戻り、彼が自らの子であると彼らに紹介した。コンラは自らがアルスターに参加していれば、5年もあれば敵を全て倒し、その王権は遥かローマにまで届くところであったと惜しみ、アルスター人たちに別れの挨拶を告げた後に事切れた。彼の墓が建てられた土地はこれに由来して Airbe Rofir (偉大な男の足跡<ref>„Spur des großen Mannes"{{harv|Thurneysen|(Thurneysen, 1921|page=406}}, p406)</ref>)と名付けられた、と『韻文の{{仮リンク|ディンシェンハス|en|Dindsenchas}}』は伝えていると名付けられた、と『韻文のディンシェンハス(Dindsenchas)』は伝えている<ref group="†">ディンシェンハスの説明するこうした地名の語源は現代では[[民間語源]]であると見なされており、それどころかこうした俗説が実際に当時流布していたのかどうかさえ疑問視されている点には注意を要する。ディンシェンハスの説明するこうした地名の語源は現代では民間語源であると見なされており、それどころかこうした俗説が実際に当時流布していたのかどうかさえ疑問視されている点には注意を要する。</ref>。
=== 後日談 ===
後日談についてもやはり諸説がある。『レカンの黄書』所収の版は、彼のことを記憶にとどめるため、アルスターでは全ての子牛が3日間母牛から引き離されて育てられたとする。TCD 後日談についてもやはり諸説がある。『レカンの黄書』所収の版は、彼のことを記憶にとどめるため、アルスターでは全ての子牛が3日間母牛から引き離されて育てられたとする。TCD MS 1336 所収の版ではクー・フーリンが自身の息子を殺害した廉で同胞であるアルスター人たちから訴訟を起こされ、コンホヴァル王に賠償金を支払ったとされる{{sfn|<ref>O'Keeffe|, 1904|pages=126, p126-127}}。この写本は主として法文章を集めたものであるため</ref>。この写本は主として法文章を集めたものであるため<ref>"...consisting mainly of Irish law tracts."{{harv|O(O'Keeffe|, 1904|page=126}}, p126)</ref>、所収の『アイフェの一人息子の最期』についても、説話その物というより法律論議のための枕を意図したものと考えられる<ref>"It seems evident that it was designed to serve as a peg on which to hang the characteristic legal discussion with which the text concludes."{{harv|O(O'Keeffe|, 1904|page=123}}, p123)</ref>。『韻文のディンシェンハス』に収められた詩では、息子を我が手で殺したことで怒り心頭に発したクー・フーリンは虐殺を行ったとされるが、詳細については触れられていない。。『韻文のディンシェンハス』に収められた詩では、息子を我が手で殺したことで怒り心頭に発したクー・フーリンは虐殺を行ったとされるが、詳細については触れられていない。
== 民話 ==
19世紀末、{{仮リンク|ジェレマイア・カーティン|en|Jeremiah Curtin|}}がアイルランド中西部でゲール語の話し手から採取した民話集 ''"Myths and Folk Tales of Ireland"'' の中に、コンラを取り扱ったものも収録されている。
== 再話文学 ==
=== 『カーソンの詩』 ===
『カーソンの詩』 (''"Carthon: A Poem"'') は[[ジェイムズ・マクファーソン (詩人)|ジェイムズ・マクファーソン]]による再話。ここではコンラに相当する人物は'''カーソン''' (Carthon) という名であり、クー・フーリンに相当する彼の父親はクレサモー (Clessámor) である。マクファーソンの作品群に共通する特徴であるが[[フィン・マックール]]に相当する人物であるフィンガルも登場する。