【現代語訳】<blockquote>一説によれば「二神(タケミカヅチとフツヌシ)は、ついに邪神や草木・石の類を誅伐し、皆すでに平定した。唯一従わぬ者は、星の神・カガセオのみとなった。<br>そこで倭文神・タケハヅチを派遣し、服従させた。そして、二神は天に登っていかれた。倭文神、これをシトリガミと読む。」</blockquote>
本文(上述)では、[[経津主神]](ふつぬしのかみ)・[[武甕槌命]](たけみかづちのみこと)は不順(まつろ)わぬ[[鬼神]]等をことごとく平定し、草木や石までも平らげたが、星の神の香香背男だけは服従しなかった{{Sfn|本文(上述)では、経津主神(ふつぬしのかみ)・武甕槌命(たけみかづちのみこと)は不順(まつろ)わぬ鬼神等をことごとく平定し、草木や石までも平らげたが、星の神の香香背男だけは服従しなかった<ref>東実|, 2000|pp=56, p56-57|loc=§葦原中国}}。そこで倭文神(しとりがみ)・[[建葉槌命]](たけはづちのみこと)を遣わし懐柔したとしている{{Sfn|</ref>。そこで倭文神(しとりがみ)・建葉槌命(たけはづちのみこと)を遣わし懐柔したとしている<ref>坂本・家永・井上・大野|, 1994|p=120}}{{Sfn|, p120</ref><ref>植松|, 1920|ps=, p(コマ117-118)|pp=87, p87-88}}。88。
=== 『日本書紀』巻第二 神代下 第九段一書(二) ===
【原文】{{Quotation|一書曰、天神、遣經津主神・武甕槌神、使平定葦原中國。<blockquote>一書曰、天神、遣經津主神・武甕槌神、使平定葦原中國。時二神曰「天有惡神、名曰天津甕星、亦名天香香背男。請先誅此神、然後下撥葦原中國。」</blockquote> 時二神曰「天有惡神、名曰天津甕星、亦名天香香背男。請先誅此神、然後下撥葦原中國。」}}【書き下し文】{{Quotation|<ruby><rb>一書</rb><rt>あるしょ</rt></ruby>に<ruby><rb>曰</rb><rt>いわ</rt></ruby>く、<ruby><rb>天神</rb><rt>あまつかみ</rt></ruby>、<ruby><rb>経津主神</rb><rt>ふつぬしのかみ</rt></ruby>・<ruby><rb>武甕槌神</rb><rt>たけみかづちのかみ</rt></ruby>を<ruby><rb>遣</rb><rt>つかわ</rt></ruby>して<ruby><rb>葦原中国</rb><rt>あしはらのなかつくに</rt></ruby>を<ruby><rb>平</rb><rt>たい</rt></ruby>らげ定めせしむ。
時に<ruby><rb>二神</rb><rt>ふたはしらのかみ</rt></ruby>曰く、「天に悪しき神有り。名を<ruby><rb>天津甕星</rb><rt>あまつみかぼし</rt></ruby>、<ruby><rb>亦</rb><rt>また</rt></ruby>の名を<ruby><rb>天香香背男</rb><rt>あめのかがせお</rt></ruby>と曰う。<ruby><rb>請</rb><rt>こ</rt></ruby>う、先ず<ruby><rb>此</rb><rt>こ</rt></ruby>の神を誅し、<ruby><rb>然</rb><rt>しか</rt></ruby>る後に下りて葦原中国を<ruby><rb>撥</rb><rt>はら</rt></ruby>わん」。}}【現代語訳】{{Quotation|ある書によれば、天津神はフツヌシとタケミカヅチを派遣し、葦原中国を平定させようとした。
その時、二神は「天に悪い神がいます。名をアマツミカボシ、またの名をアメノカガセオといいます。どうか、まずこの神を誅伐し、その後に降って葦原中国を治めさせていただきたい。」と言った。}}