それに併せて、本来の祭神だった佐保姫も、[[狭穂姫命]]のように悲劇的な死を遂げた女神と習合させ組み合わせることで、「'''怨霊扱い'''」で鎮めなければならない女神、という姿が強調されているように思う。要するに、物部氏系氏族は佐保姫を「'''厄払いの女神'''」として扱っていたが、賀茂系氏族は逆に「'''疫神'''」として扱って鎮花祭で鎮めなければならない女神として扱ったのだ。佐保川(大和川)は地理的要因により、長雨などで大和盆地に洪水を起こす川だったので、容易に「'''祟り神'''」に変換しやすかったし、そのために奈良盆地は選ばれたのではないか、とすら思える。
また佐保姫は藤原氏の手によって、'''若沙那賣神'''という[[須佐之男命]]系の女神にも変換されているように思う。奈良盆地で重要な女神だったので、有力な各氏族が取り込んで女神の利用を試みたものと考える。
== 参考文献 ==