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淳和天皇が、まだ皇太子・大伴親王であった頃、夢のお告げにより、聖徳太子が開基した紫雲山頂法寺(通称「六角堂」。京都府京都市中京区六角通東洞院西入堂之前町)で、20歳の小萩と出会い、小萩を第四妃に迎えた。小萩は、真名井御前と呼ばれた。(籠神社や神呪寺では、「真井御前」と表記。『丹後旧事記』には「与佐の宇屋居子(うやいこ)」と呼ばれたとある。)「真名井」とは、丹後国で'''豊受大神'''(伊勢神宮(外宮)のご祭神)を祀っている神社の社号である。
 
天長元年(824年)の有名な「興福寺(西寺とも)の守敏と東寺の空海の雨乞い対決」では、空海の名声を妬む守敏が、国中の龍神を瓶に閉じ込めたので、空海は雨を降らすことが出来ない状況だったが、天竺にいた善女龍王を呼び寄せて雨を降らせ、勝利した。
 
別伝では、浦島太郎の9世孫の真名井御前が、先祖伝来の玉手箱を空海に渡し、空海が呪文を唱えながら蓋をあけると、紫色の雲が湧き出て雨が降り、空海が勝利した。これで玉手箱の効果は消えてしまったが、翌天長2年(825年)に浦島太郎が現れ、新たな玉手箱を娘の真名井御前に手渡したという。
== 参考文献 ==
* [https://japanmystery.com/hyogo/kannouji.html 神呪寺]、日本伝承大鑑(最終閲覧日:24-12-09)
* [https://note.com/sz2020/n/nf8e6a73c31ec 浦島太郎9世孫 or 娘の真名井御前、レコの館(やかた)] (最終閲覧日:24-12-09)
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[[category:日本神話]]
[[Category:雨乞い]]

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