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となるので、趣旨としては犀龍と同じ女神といえる。聖山で燃やしていた薪が、正確には「何の薪」だったのかは分からない。柴などの薪であれば、犬神とその妻をばらして焼く火であったと思われる。小泉小太郎の伝承の通り、もし'''萩の薪'''だったりしたら「彦神別神」を頂く犀川西岸の荻野の金刺氏に対する嫌がらせといえる。聖山は犀川の東側にあって、古代においては東信の文化圏に入るので、山で何を燃やしたのかは気になるところである。
ということで、樋知大神社は最終的に真言宗高峰寺の管轄になり、祭祀も寺で行っていた。別に修験道の僧侶の皆様が悪い、とかそういうわけではないのだが、そうなることで古い時代の神々の本当の姿が減じたり、滅したりしたものがあるのではないか、と思う。仏教の影響がなければ、ということで、樋知大神社は最終的に真言宗高峰寺の管轄になり、祭祀も寺で行っていた。別に修験道の僧侶の皆様が悪い、とかそういうわけではないのだが、そうなることで古い時代の神々の本当の姿が減じたり、滅したりしたものがあるのではないか、と思う。仏教の影響がなければ、本来の犬神と龍女神の婚姻譚が池に残っていて、泉小太郎の伝承は'''聖山だけで完結してしまった'''のではないか、と管理人は考える。信州新町の側から見ると、この山にどのような状態で雲がかかるのかは天候の変化を知るための重要な情報だった。聖の山は降水を司る重要な山と考えられたので、そこに重要な祖神を祀ったのが、山の祭祀の起源ではなかったか、と考える。 また、松本市の鉢伏山もそうだが、牛伏寺のおかげで、山頂に祀られていた本来の神の名前や機能がかなり散逸しているように思う。伝承をあれこれ研究していると、元の神の姿が良く分からなくて「'''金峯山の蔵王権現が邪魔だ'''」と思うことは割と良くある。ということで、古い神々を散逸させてしまう、少し「悪い存在」として修験道の開祖・役行者を少し再現伝承に取り入れてみた。古い伝承を愛する管理人の個人的なささやかな恨みも込めて。
== 参考文献 ==

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