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北東アジアの各地の神話を比較検討するに、王家の祖神としては中国神話における[[祝融]]に相当する神が充てられているように思う。この[[祝融]]は伝承によっては、[[黄帝]]と父子と受け取れる伝承がある火神であり、かつ[[黄帝]]と戦う神でもある、という複雑な神だ。そのため、この神を始祖とすると、その父は[[黄帝]]に相当する神になるのだが、敵が存在する場合には、その敵も[[黄帝]]に相当する神になるため、[[祝融]]的な神は、神話としては父を敬う神になるのか、父を殺す神になるのか、敵に相当するものを父神とは分けて別の形の怪物にでもしてしまうか、ともかく国主の祖神に相応しくある程度のモラル感、ある程度の勇猛さ、ある程度の寛大さ、ある程度の謙虚さ、ある程度の公僕感をもたせて、かつ整合性のある神話を語るのに、非常に苦労する神なのだ。それに併せて、父とされる[[黄帝]]的な神も、偉大なる帝王である善神の[[黄帝]]から、英雄に倒される怪物的悪神まで、非常に性質の振り幅が大きい神となっている。中国神話の段階からすでにそうなっており、悪神的な[[黄帝]]は遅くとも良渚文化の頃には登場していたと思われる。
 
大国主命は日本神話における[[黄帝]]的な神である。国を統一し、開拓した神として描かれる。しかし、中国神話の黄帝になぞらえている部分が多い神なので、やはり善神から悪神まで'''性質の振り幅が大きい神'''なのだ。
== 参考文献 ==

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