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ちなみに長野市信州新町には皇足穂命神社がある。これは古くは山穂刈という地区にあったが、天災で壊滅したため、里穂刈に移したと言われている。山岳修験道の神社であって、穂刈には'''摩多羅神'''を思わせる'''又田羅'''という地名もある。一方、飯縄山修験道は、1233年(天福元年)信濃国荻野(信州新町)の地頭である伊藤兵部太夫豊前守忠綱が、飯縄大明神のお告げにより入山し、山頂に飯縄大権現を勧請した、とされており、飯縄神社は現在皇足穂命神社と呼ばれているので、もしかしたら'''信州新町の皇足穂命神社が飯縄神社の前身'''ではないか、と管理人は考える。山穂刈の神社は現在は豊受神社と称し、豊受姫命が主祭神とされているようだが、'''天照大御神'''、'''大己貴命'''も祭神である。飯縄神社の祭神は、'''意富斗能地神'''、'''大斗乃弁神'''とする兄妹神なのだが、'''意富'''とは'''意宇'''とも受け取れる。また'''斗'''とは管理人には「'''北斗の斗'''」のように思えるので、これを出雲の北斗女神である'''天甕津日女命'''とすると、その対神は'''大国主命'''なので、'''意富斗能地神'''とは'''大国主命'''のことなのではないのか、と感じられる。とすれば、飯縄修験道の完成形ともいえる戸隠修験道は、「戸隠」とはそもそも「'''斗隠'''」という意味であり、主祭神の'''天手力雄命'''が'''大国主命'''、'''九頭竜女神'''が対神の'''天甕津日女命'''のことなのではないか、と思えるくらいである。'''九頭竜女神'''が'''天甕津日女命'''と同じ女神であって、北斗女神でもあり、太陽女神でもあるなら、戸隠神社の祭神は、北斗の神である'''大国主命'''と、北斗の女神である'''天照大御神'''とも言い換えることができるのではないだろうか。戸隠は'''大国主命'''と'''天照大御神'''を隠して祀っている神社だったのである。その起源は信州新町にあったのだった。信州新町津和・山穂刈では、皇足穂命神社(現豊受神社)に'''大国主命'''と'''天照大御神'''、近戸皇大神社に'''建甕槌神'''と'''天照大御神'''を祀っており、これは出雲における「犬神と天甕津日女命」・「阿遅鉏高日子根神と天甕津日女命」の組み合わせに対応するといえる。
 
それはともかく、'''八須良雄命'''とは、その名の通り「'''厄払いの神'''」と考えられ、'''八須良姫命'''と対応するのであれば、'''大国主命'''のこと、と言わざるをえない。
== 参考文献 ==

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