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3 バイト除去 、 2022年3月18日 (金) 22:38
また、「御霊」とは、普通「死霊」のことであるので、牛頭天王(須佐之男)が公然と「死霊扱い」されている点も、個人的には注目する。古代中国には、蚩尤という神を殺して首をはね、頭が饕餮となった、という伝承もある。それに対応するように、良渚文化の鉞などには、「王権の象徴」として「首のみの神」が描かれている。また、川の神が弓の名手・羿に調伏された、という伝承もある。「'''饕餮が殺された川の神である'''」という良渚文化に起源を持つ信仰が日本に持ち込まれて「'''須佐之男が殺された川の神である'''」という姿に変化したものが、「祇園信仰」とはいえないだろうか。であれば、須佐之男が「川の神」であるのに「'''川の神」として扱われず、「災厄を起こすから鎮めねばならない祟り神(潜在的には川の神)'''」として扱われる理由ともなり得る気がするのである<ref>日本の神話では火雷神も黄泉の国で生まれた死霊の神のように扱われている。</ref>。
「八坂」や「八日堂」など、「八」の数字は伏羲の「八卦」に通じるものでもある。「蘇民将来符」とは、人の運命を定める伏羲が、災厄をよけるために作り出した護符(胡瓜あるいは瓢箪と同じ物)という潜在的な意味があるのではないだろうか。伏羲が雷神の恩恵を受けて災厄(大洪水)を免れた存在、といえるなら、蘇民将来は牛頭天王の恩恵を受けて災厄(疫病)を免れた存在といえ、大洪水と疫病を置き換えただけで、伏羲とそみん将来の立場は類似しており、蘇民将来は「「八坂」や「八日堂」など、「八」の数字は伏羲の「八卦」に通じるものでもある。「蘇民将来符」とは、人の運命を定める伏羲が、災厄をよけるために作り出した護符(胡瓜あるいは瓢箪と同じ物)という潜在的な意味があるのではないだろうか。伏羲が雷神の恩恵を受けて災厄(大洪水)を免れた存在、といえるなら、蘇民将来は牛頭天王の恩恵を受けて災厄(疫病)を免れた存在といえ、大洪水と疫病を置き換えただけで、伏羲と蘇民将来の立場は類似しており、蘇民将来は「'''和製伏羲'''」といえるのではないだろか。
== 護符 ==

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