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1,052 バイト追加 、 2022年3月18日 (金) 18:54
柳田の考察によれば、牛頭天王(須佐之男)は水神と関連付けられ、夏の「水神の祭り」に置き換わるあるいは乗っ取る、という関係にあったようである。また、祟り(疫病)を起こす水神は「胡瓜」とも関連付けられているが、古代中国には水神の眷属の一つである'''雷神が祟りを起こして大洪水を起こす。雷神を支配する伏羲と女カのみが瓢箪に乗って難を逃れる'''、という伝承がある。「祟り(嵐・疫病など)を起こす水神・雷神の力を調節するのに瓢箪(胡瓜)が必要とされる」という考えは、、むしろ'''輸入されたもの'''といえるのではないだろうか<ref>柳田ほどの人物が、このことに気がついていないというのは、むしろ不思議に感じる。彼が活動した時代背景を考えれば、「須佐之男=中国の雷神」というような考えは、国粋的に不都合と考えられて、ガリレオ的に敢えて思ったことを言わなかったのではなかろうか、とすら個人的には勘ぐってしまうのである。</ref>。
 
また、「御霊」とは、普通「死霊」のことであるので、牛頭天王(須佐之男)が公然と「死霊扱い」されている点も、個人的には注目する。古代中国には、蚩尤という神を殺して首をはね、頭が饕餮となった、という伝承もある。それに対応するように、良渚文化の鉞などには、「王権の象徴」として「首のみの神」が描かれている。また、川の神が弓の名手・羿に調伏された、という伝承もある。「'''饕餮が殺された川の神である'''」という信仰が日本に持ち込まれて「'''須佐之男が殺された川の神である'''」という姿に変化したものが、「祇園信仰」とはいえないだろうか。であれば、須佐之男が「川の神」であるのに「'''川の神」として扱われず、「災厄を起こすから鎮めねばならない祟り神(潜在的には川の神)'''」として扱われる理由ともなり得る気がするのである。
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