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434 バイト追加 、 2022年3月18日 (金) 18:46
<blockquote>田舎の旧六月は水の神の祭り月であって、これを天王様とも祇園とも呼ぶのが普通になっている。祇園社の起こりは、疫病の神を「''御霊''」として祀ったことによるとされている。いわゆる御霊系の祭りでも旧六月のものは水との縁が深く、水の神の祭と態様を同じくしているが、神を「水の神」とする信仰は記録の上にはまだ現れていない。これは水の神をその怖ろしさから、疫病の神とみるようになったのではなかろうか。古来より河童は胡瓜を好み、人々は初物を河童に捧げたりしていた。これは祇園とも関連付けられ、胡瓜は祇園を過ぎると食べるものではない、とされた地方もある。また、これを過ぎなければ食べてはならぬ、という地方もあり、祇園の頃は水の神に胡瓜を捧げる節の時期でもあった。古くは瓠と川菜とをもって水の神に供える、という祭りがあり、また、瓢箪をもって、水の霊を力を試みる、という伝承もあったようである。''この瓜に対する信仰は輸入ではない。''<ref>新訂 妖怪談義、柳田国男、角川ソフィア文化、2012年、90-95p</ref></blockquote>
柳田の考察によれば、牛頭天王(須佐之男)は水神と関連付けられ、夏の「水神の祭り」に置き換わるあるいは乗っ取る、という関係にあったようである。また、祟り(疫病)を起こす水神は「胡瓜」とも関連付けられているが、古代中国には水神の眷属の一つである'''雷神が祟りを起こして大洪水を起こす。雷神を支配する伏羲と女カのみが瓢箪に乗って難を逃れる'''、という伝承がある。「祟り(嵐・疫病など)を起こす水神・雷神の力を調節するのに瓢箪(胡瓜)が必要とされる」という考えは、、むしろ'''輸入されたもの'''といえるのではないだろうか。といえるのではないだろうか<ref>柳田ほどの人物が、このことに気がついていないというのは、むしろ不思議に感じる。彼が活動した時代背景を考えれば、「須佐之男=中国の雷神」というような考えは、国粋的に不都合と考えられて、ガリレオ的に敢えて思ったことを言わなかったのではなかろうか、とすら個人的には勘ぐってしまうのである。</ref>。
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