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115 バイト追加 、 2024年11月12日 (火) 21:35
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があるように思う。ただ、塗山氏女と女娃は同じものかもしれないし、良く分からない。台湾の神話では「バルン」という娘の名で、女娃と似た伝承がある<ref>紙村徹編『神々の物語 台湾原住民文学選5』草風館、2006年、330-331頁</ref>。日本の賀茂系神話では、表向きは「女神の死」はなかったこととされているように思う。敢えて挙げれば
* 母女神 = '''天照大御神'''('''諏訪大社下社の真北'''にある戸隠?・・・戸隠じゃなくて'''近戸皇大神社'''では? の祭神<ref>事任八幡宮、諏訪大社下社のレイラインとくれば、真北の長野市にあるのは信州新町の'''健御名方富命彦神別神社'''である。この神社はかつて'''水内大社'''と呼ばれており、縄文時代から人が住んでいた場所にあって、斎宮という地名があったり、「いもの宮」と呼ばれていたとのことなので、元は女神信仰の神社であったことが示唆される。近戸皇大神社は、戸隠の天之手力男神が立ち寄って休んだ、言い換えれば「夫の天之手力男神が妻の天照大御神の所に通った」という伝承のある由緒正しき神社である。管理人の先祖がその近辺に「住んでいた」ことはある。事任八幡宮には玉依比売命が祀られており、賀茂系の神社と推察される。諏訪大社、健御名方富命彦神別神社は、須佐之男・御歳神を祖神とする賀茂系の氏族の一派の金刺氏の神社と推察する。健御名方富命彦神別神社には金刺氏の祖神神八井耳命も祀られている。賀茂系の氏族の一派と思われる姓に尾張氏という姓がある。(古代の奈良における活動範囲も賀茂系氏族と非常に近い氏族である。)まあまあ、近戸皇大神社のごく近所に住んでいた先祖というのは、「終わり」というか、そんなようなのに近い名というか。名前のことは読者に察していただくとして、近戸皇大神社も広く賀茂・金刺系の神社と思われる。なんで、そこにだけ「'''夫の天之手力男神が妻の天照大御神の所に通った'''」という伝承があるのだろうか? その神社を作った人たちの中にしか語ることを許されなかった秘伝中の秘伝かも、と勘ぐる管理人だ。「月の女神」になる前の'''太陽女神の嫦娥娘娘と羿黄帝が夫婦であったという貴重な伝承'''は、本当にそのくらいしか管理人は知らないのだが。は、本当にそのくらいしか管理人は知らないのだが。ともかく、賀茂系氏族と金刺氏の関連を知りたい方は[[賀茂の暗号]]も見て頂きたい。</ref>)、'''天白神<ref>縄文系のバロン(白)女神のことと考える。</ref>'''、下光比売命、犀竜、'''鬼女紅葉'''(鬼無里も真北といえばまあまあ真北、鬼女紅葉は安曇野の八面大王の妻とも言われ、要は'''日本版の相柳'''である。)、'''戸隠の九頭竜'''(戸隠にいるのはこちらの方)
* 娘女神 = '''己等乃麻知媛命'''('''諏訪大社下社の真南'''にある神社の祭神)、玉依姫系、木花之佐久夜毘売、「雉も鳴かずば」の小豆娘、'''馬頭娘'''(蚕馬神、'''芋虫信仰''')
* 入水女神 = '''八坂刀売'''('''諏訪大社下社'''の祭神)、嫁殺しの池、'''乙姫'''、多留姫(おそらく縄文系の水神、ダロンから派生したものか)

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