とすれば、祝融はまさに「'''嘘つきと、武器製造を推進する火神'''」ということになる。もうこの段階になったら神は崇拝の対象ではなく、完全に政治の道具といえる。
長江文明で、まず蛙神の廃止が行われたのではないだろうか。そのため「五行」を作り出した重要な蛙神は消えてしまったけれども、黄河文明の側では仰韶文化の時代まで残ったのだろう。蛙神は蛇神に置き換えられたけれども、当初は性質はそのままで急に人身御供を求める神には移行できなかったかもしれない。
黄河文明の方では、仰韶文化半坡類型晩期(紀元前4080年頃~紀元前3790頃)に首狩りの風習があった、とのことだ<ref>[http://kohkosai.com/report.htm 好古斎]、[http://kohkosai.com/kaisetu/03-hanpa.htm 仰韶文化(B.C.5000~B.C.3000)]</ref>。
長江文明・大渓文化の城頭山遺跡(紀元前4500年頃)からは農耕儀礼に関したと思われる人骨が出土している<ref>長江文明の探求、梅原猛、安田喜憲共著、新思索社、2004、p88</ref>。
=== ネイト・エジプト神話 ===