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1,568 バイト除去 、 2024年11月1日 (金)
河姆渡文化では、2羽の鳥が「太陽と月」と思われるものを支える図が描かれる。このうちの1羽が饕餮、もう1羽が共工だったとする。彼らは、本来仲良く太陽と月を支える鳥とされていて、これを「ギリシア神話で、人類に火をもたらす神はプロメーテウスという。人類に火を使うことを禁止した主神ゼウスは、「人類は火を使って武器を作り戦争を始めるだろう。」と述べたとされている。中国神話の祝融は夏の都城を滅ぼしたり、鯀という神を殺したりする攻撃性の高い神なので、「'''祝融図火を使った武器の神'''」と人々は呼んだかもしれない。でも、この似たような鳥のうちの1羽がもう1羽を殺す、あるいはもう1羽が死ぬ、という伝承もあったと思われる。例えば、カストールとポリュデウケースのように。こうして、'''カストールから「カス」を外し、「ポリュデウケース」から「ポリュ」を外したので、残った2つを足して「トウトウ」という名しか残りませんでした'''、という感じになった。残った「トウトウ」は、「新しいトウトウ」という意味で、「トウトウ・ニュー」と呼ばれるようになったかもしれない。ともかく、再編前は饕餮は、「'''火饕餮'''」という名前だったのに、再編後は「'''饕餮火'''」という名前になった、というそんな感じなのだと思う。そこから、更に「火の神・祝融」を分離したんで、中国では饕餮という名しか残らなかったのかもしれないし、分離する神が増えるほど、神としての地位は少しずつ低下していったものと思われる。シュメール文化は良渚文化が始まるよりやや前の文化なので、紀元前4000~3500年頃に、それまでなかった「'''祝融・共工神話'''」が発生し、良渚文化の台頭に寄与したかもしれないと考える。」としても崇拝されたのではないだろうか。
だから、メソポタミアのニンギジッタは、「水神」を含む古い時代の饕餮なので、蛇神の姿をしている。植物神や、境界神の姿も持っている。彼は「死ぬ神」でもあったので、本来は対になる神がいて、それと交代で死んだり、生きたりする、とされてたのかもしれない。ローマのヤヌスのように、片方の顔が冥界を向いている時には、もう片方は現世を見ているのだ。そして、ニンギジッタは、このような読み方ではなく、逆向きで「タタン」とか「トトン」という呼び方の方が適当だったのではないか、と思う。また、「'''人が人を食う'''」ということを単なるカニバリズムとせず、「人身御供」のように他人を食べたり殺したりすることまで含めれば、これは祭祀でもあるので、祭祀の禁止を不満と感じれば、復活を求めて、「人身御供を禁止した神」である蛙神への信仰を禁じた、ということがあるかもしれない、と思う。'''水神を蛙神から河伯(蛇神)に変えて、これを「人身御供を求める神」とすることで、人身御供を復活させることができる'''。
それに対して、スラエータオナは蛇神を廃した、新時代の「トトン神」なので、もう蛇の頭が2つついていたりはしなくなった。イランよりも東では、水神を廃した祝融、ことインド神話のアグニ、イラン神話のアータルが台頭して、水神と火神が対立する、という神話が形成された。デーヴァとアスラの対立である。'''デーヴァとはアグニのことであり、饕餮の「饕」のことでもある'''。'''祝融とは饕餮も同然で、名を書き換えただけの神だったともいえる'''。その上、水神が蛇神であることが正しい、とすれば「蛙神を正しい」と考える人達を「異端」として攻撃することができる。
一方、水神を含む、古い形式の古饕餮であるニンギジッタがメソポタミアまで拡がっていたのだから、他にもいたと思われる。名前から見て、ローマのヤヌスは双頭の神であり境界神であってニンギジッタに似た性質を持つ。ギリシアのディオニューソスはワインの神である。おそらく彼らの中に、河姆渡文化のあたりまでは存在していた「双頭であって水神を含む饕餮」の片鱗が残っていると考える。更に、蛇神を竜神に変更して「蛇神は悪い神だ。」として、蛇神を信じていた人達を攻撃する口実にする。竜神の方だけは「王権の象徴として残す。」  と、'''神を少しずつ変えていくことで、「変えた後の神を信じている人達」以外の者を攻撃する口実をどんどん作る、とする。これを「火で作った武器」とセットにすれば、どんどん邪魔者を「悪者」と定義して攻撃できるようになる。人身御供も復活させれば、宗教を口実にして敵を殺すことを正当化できる。'''  とすれば、祝融はまさに「'''嘘つきと、武器製造を推進する火神'''」ということになる。
=== ネイト・エジプト神話 ===

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