とすると、イランの伝承では「'''饕餮+火'''」である英雄が、シュメールではザッハークに類似した蛇神とされていることが分かる。シュメールは期限前3500年頃~前3100年頃の文化なので、時代的にはこちらの方が古いのだが、中国神話と比較すれば、イランの伝承の方が「祝融・共工型神話」に近い。形が崩れているように思えるのは、むしろシュメール神話の方だ。これは一体、どういうことなのだろう?
「'''饕餮+火'''」という意味の名のスラエータオナを、中国の火の神「'''祝融'''」である、と仮定する。インド神話で祝融に相当するのはアグニだ。「'''祝融'''」は、最初は共工を退治する神ではなく、'''祝融自身が蛇神(水神)であり、火神であり、植物神であり、農耕神であり、酒の神だった'''のではないだろうか。だが、特に「'''酒の神'''」である点で評判が悪く、ある種の宗教改革に迫られたので、水神である共工を意図的に分離して、再編したのだと思う。つまり、再編よりも古い時代は
''火饕餮(火雷神)+共工(水雷神)=古祝融(火と水と雷)'''
だったのだけれども、これを
'''古祝融(火と水と雷)-共工(水雷神)=饕餮火(新祝融神(火雷神))'''
に変えてしまったと思われる。河姆渡文化では、2羽の鳥が「太陽と月」と思われるものを支える図が描かれる。このうちの1羽が饕餮、もう1羽が共工だったとする。彼らは、本来仲良く太陽と月を支える鳥とされていて、これを「'''祝融図'''」と人々は呼んだかもしれない。でも、この似たような鳥のうちの1羽がもう1羽を殺す、あるいはもう1羽が死ぬ、という伝承もあったと思われる。例えば、カストールとポリュデウケースのように。こうして、'''カストールから「カス」を外し、「ポリュデウケース」から「ポリュ」を外したので、残った2つを足して「トウトウ」という名しか残りませんでした'''、という感じになった。残った「トウトウ」は、「新しいトウトウ」という意味で、「トウトウ・ニュー」と呼ばれるようになったかもしれない。ともかく、再編前は饕餮は、「'''火饕餮'''」という名前だったのに、再編後は「'''饕餮火'''」という名前になった、というそんな感じなのだと思う。そこから、更に「火の神・祝融」を分離したんで、中国では饕餮という名しか残らなかったのかもしれないし、分離する神が増えるほど、神としての地位は少しずつ低下していったものと思われる。シュメール文化は良渚文化が始まるよりやや前の文化なので、紀元前4000~3500年頃に、それまでなかった「'''祝融・共工神話'''」が発生し、良渚文化の台頭に寄与したかもしれないと考える。
だから、メソポタミアのニンギジッタは、「水神」を含む古い時代の饕餮なので、蛇神の姿をしている。植物神や、境界神の姿も持っている。彼は「死ぬ神」でもあったので、本来は対になる神がいて、それと交代で死んだり、生きたりする、とされてたのかもしれない。ローマのヤヌスのように、片方の顔が冥界を向いている時には、もう片方は現世を見ているのだ。そして、ニンギジッタは、このような読み方ではなく、逆向きで「タタン」とか「トトン」という呼び方の方が適当だったのではないか、と思う。
それに対して、スラエータオナは蛇神を廃した、新時代の「トトン神」なので、もう蛇の頭が2つついていたりはしなくなった。イランよりも東では、水神を廃した祝融、ことインド神話のアグニ、イラン神話のアータルが台頭して、水神と火神が対立する、という神話が形成された。デーヴァとアスラの対立である。'''デーヴァとはアグニのことであり、饕餮の「饕」のことでもある'''。'''祝融とは饕餮も同然で、名を書き換えただけの神だったともいえる'''。
一方、水神を含む、古い形式の古饕餮であるニンギジッタがメソポタミアまで拡がっていたのだから、他にもいたと思われる。名前から見て、ローマのヤヌスは双頭の神であり境界神であってニンギジッタに似た性質を持つ。ギリシアのディオニューソスはワインの神である。おそらく彼らの中に、河姆渡文化のあたりまでは存在していた「双頭であって水神を含む饕餮」の片鱗が残っていると考える。
=== ネイト・エジプト神話 ===