大渓文化の代表的な遺跡である城頭山遺跡の城内からは、建築材料としてフウの木が多く出土しており、人々がフウの木に特別な感情を抱いていたことが分かる。
モン・ミエン系民族であるミャオ族は、'''フウの木が先祖である'''、という伝承を持っており、黔東南では、13年に一度の大きな祖先祭祀であるノン・ニュウを父系氏族 (clan) が合同して行い、大量の水牛や豚を供犠して祖先を祀る。ノンとは「食べる」、ニュウは「鼓」の意味で、'''祖先の霊魂が宿るとされる楓香樹'''から作った木鼓をたたいて、祖先の霊を呼び戻して交流する。
蚩尤は死してフウの木に変じた、という伝承がある。ミャオ族の伝承と併せて考えれば、
ミャオ族の先祖である'''フウの木'''とは、'''死した蚩尤'''のことであり、フウの木を祀ることは蚩尤を祀ることである。蚩尤(フウ)から作られた鼓が「食べる」鼓と言われるのは、フウが生きていた時には蚩尤であって、ものを食べる人間であったからではないだろうか。
と管理人には思われる。
=== 河姆渡文化 ===