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'''コウノトリ'''(鸛<ref name="ezaki_a" />、''Ciconia boyciana'')は、鳥綱コウノトリ目コウノトリ科コウノトリに分類される鳥類。

== 分布 ==
日本、韓国、中国、朝鮮民主主義人民共和国、ロシア南東部<ref name="iucn" />

模式標本の産地(基準産地・タイプ産地・模式産地)は横浜市<ref name="naito_ikeda">内藤和明, 池田啓 「[https://doi.org/10.5632/jila.64.318 コウノトリの郷を創る]」『ランドスケープ研究』第64巻 4号、社団法人日本造園学会、2000年、318-321頁。</ref><!-- komiya_bでもヨーロッパに初めて紹介されたのはSwinhoeが横浜で採取した標本という記述はあり -->。中華人民共和国北東部・ロシア南東部のアムール川・[ウスリー川流域で繁殖し、冬季になると大韓民国、日本、台湾、香港、長江中流域へ南下して越冬する<ref name="oosako" /><ref name="takeshita" />。1980年代以降は中華人民共和国での越冬地が西へ移行している傾向があり、主に昌江で越冬する<ref name="takeshita" />。2000年代以降は中華人民共和国での越冬地でも繁殖が確認されている<ref name="oosako" />。日本では冬季にまれに飛来する(冬鳥)<ref name="ezaki_a" />。まとまった群れとしては1993年11月に11羽が与那国島に飛来し - 翌1994年3月まで留まった観察例がある<ref name="ezaki_b">江崎保男 「コウノトリ科<!-- ほぼ本種のみ解説 -->」『日本動物大百科 3 鳥I』日高敏隆監修、平凡社、50頁。</ref><ref>江崎保男・宮良全修 「[https://doi.org/10.3312/jyio1952.27.92 与那国島におけるコウノトリの集団越冬]」『山階鳥類研究所研究報告』第27巻 2号、山階鳥類研究所、1995年、92-97頁。</ref>。日本で繁殖・周年生息する個体群は絶滅した<ref name="oosako" /><ref name="ezaki_a"/><ref name="takeshita" />。

分布域は[[東アジア]]に限られる。また、総数も推定2,000~3,000羽と少なく、絶滅の危機にある。中国東北部地域やアムール・ウスリー地方で繁殖し、中国南部で越冬する。渡りの途中に少数が日本を通過することもある。

== 形態 ==
全長110 - 115センチメートル<ref name="ezaki_a" />。翼長58 - 67センチメートル<ref name="ezaki_a" />。翼開長195センチメートル<ref name="takeshita" />。体重3-5キログラム<ref name="ezaki_a" />。全身の羽色は白いが、風切羽・大雨覆は黒<ref name="oosako" />。0~1歳の幼鳥のみ、中雨覆の一部が黒。翼を閉じていると隠れて見えないが、尾羽は全て白。

嘴長オス26.1 - 27.3センチメートル<ref name="komiya_a">[[小宮輝之]] 「コウノトリ科の分類<!-- コウノトリ''Ciconia ciconia''内の亜種''C. c. boyciana''の解説を参考 -->」『世界の動物 分類と飼育8 (コウノトリ目・フラミンゴ目)』黒田長久・森岡弘之監修、東京動物園協会、[[1985年]]、48-58<!-- 55 -->頁。</ref>。嘴は黒く<ref name="ezaki_a"/><ref name="takeshita"/>、基部は赤い<ref name="oosako" />。眼の周囲は皮膚が赤く裸出する<ref name="ezaki_a" />。後肢は赤い<ref name="oosako" /><ref name="takeshita" />。他の大多数の鳥類と異なり、爪は鉤爪ではなく少し尖った平爪(扁爪)である。

== 分類 ==
以前は''C. ciconia''(現:ヨーロッパコウノトリ)およびその亜種''C. c. boyciana''の和名がコウノトリとされていた<ref name="komiya_a" />。ヨーロッパコウノトリとの間に雑種ができるため亜種とする説もあったが<ref name="komiya_a" />、DNA交雑法では別種とされた<ref name="takeshita" /><!-- シュバシコウは''C. ciconia''の和名だった際の基亜種の和名だが、学名は併記されていないもののezaki_bおよびtakeshitaではヨーロッパコウノトリとは別種と記述(後者は括弧付きでシュバシコウとも記述)としている -->。

{{要出典範囲|広義の'''コウノトリ'''は、コウノトリ亜科に属する鳥類の総称である。ヨーロッパとアフリカ北部には、狭義のコウノトリの近縁種である[[シュバシコウ]]''Ciconia ciconia''が棲息している。羽色は似ているが、クチバシは赤。こちらは数十万羽と多く、安泰である。「コウノトリが赤ん坊を運んでくる」などの伝承は、シュバシコウについて語られたものである|date=2016年2月}}。

シュバシコウとコウノトリとの間では2代[[雑種]]までできているので、両者を同一種とする意見も有力である。この場合は[[学名]]が、シュバシコウは''Ciconia ciconia ciconia''、コウノトリは''Ciconia ciconia boyciana''になる。

== 生態 ==
[[川|河川]]・池沼・[[湿原]]などに生息し、日本では[[里山]]に囲まれた[[田|水田]]や河川のある里地に生息していた<ref name="oosako" />。[[アジア大陸|大陸部]]では9月中旬から10月中旬に渡りを始め、越冬地に10月中旬から12月に飛来し翌3月上旬まで留まる<ref name="oosako" />。日本の繁殖個体群は渡りは確認されていなかったが、冬季は個体数が減少する傾向があった<ref name="oosako" />。同種間で激しく争うこともあり、中華人民共和国での報告例(2羽で争って1羽が頭部を嘴で突かれ死亡)や、日本では2002年に[[兵庫県]][[豊岡市]]に飛来して2007年に死亡するまで留まっていた野生オス(通称ハチゴロウ)の死因として、検死から病気や重金属・汚染物質などが死因ではないこと、2006 - 2007年に主に野生オスが再導入オスを攻撃した目撃例が計36回あること、最後の争いの目撃例で再導入オスが野生オスを撃退したところが目撃されたことから、再導入されたオスとの[[縄張り]]争いによる死亡が示唆されている<ref>江崎保男, 佐竹節夫, 吉沢拓祥, 三橋陽子, 大迫義人 「[https://doi.org/10.3312/jyio.43.197 兵庫県豊岡市に飛来・定着した野生コウノトリの死亡とその原因?激しい種内闘争?]」『山階鳥類学雑誌』第43巻 2号、山階鳥類研究所、[[2011年]]、197-201頁。</ref>。
成鳥になると鳴かなくなる。代わりに「クラッタリング」と呼ばれる行為が見受けられる。嘴を叩き合わせるように激しく開閉して音を出す行動で、威嚇、求愛、挨拶、満足、なわばり宣言等の意味がある<ref>{{Cite book|和書|title=週刊 日本の天然記念物 コウノトリ|date=2002年11月21日|year=2002|publisher=共同印刷株式会社|pages=16-17}}</ref>。

魚類、[[カエル]]類、[[ヘビ]]類、鳥類の卵や雛、[[ネズミ目|齧歯類]]、昆虫などを食べる<ref name="takeshita" />。水生動物は浅瀬で、ヘビ・鳥類の卵や雛・ネズミや昆虫などは乾燥した草地で捕食する<ref name="takeshita" />。主にザリガニなどの[[甲殻類]]やカエル、魚類を捕食する。ネズミなどの小型哺乳類を捕食することもある。

繁殖様式は卵生。3歳頃から繁殖を始める。頭部を反らせ嘴を叩き合わせて(クラッタリング)求愛する<ref name="ezaki_a" />。婚姻様式は固い絆の一夫一妻<ref name="oosako" />。コウノトリの場合、産卵したつがいのことをペアと呼び、まだ産卵に至っていないつがいのことをカップルと定義している。<ref>{{Cite book|和書|title=コウノトリ野生復帰の手引書|date=2018-3-31|year=2018|publisher=コウノトリの個体群管理に関する機関・施設間パネル|page=88-94}}</ref>放鳥が始まった2005年以降、2019年現在まで雛を巣立たせたペアが死別以外でペア解消した例は無い。ペア相手を慎重に吟味するため、雌雄が同行しているだけではペア・カップルとは限らない。ツルのようにダンスを踊ったり、翼を広げて求愛したりということはない。

湿原に面した大木の樹上に巣を作る<ref name="ezaki_a" />。巣は木の枝を組み合わせて作る<ref name="oosako" />。日本の繁殖個体群は過去には3月下旬から4月上旬に繁殖していて、大陸個体群は4月中旬から4月下旬に繁殖する<ref name="oosako" />。2 - 6個の卵を産む<ref name="oosako" />。抱卵期間は31 - 35日<ref name="oosako" />。造巣・抱卵・育雛は雌雄共同で行う<ref name="oosako" />。抱卵時、パートナーに餌を運んでくることはない。育雛期間は55 - 70日で、6羽全てが巣立つこともある<ref name="ezaki_a" />。雛は孵化してから63 - 74日は巣に留まる<ref name="oosako" />。雛が生まれると親鳥は巣の中に餌を吐き戻して与え、雛は吐き出された餌を自力で食べる。口移しで餌を与えたり、雛の口に入れてやったりすることはない。

雛は、約58-71日で巣立ちする。日本では過去には6月下旬から7月上旬に巣立ち、大陸個体群は7月下旬から8月上旬に巣立つ<ref name="oosako" />。巣立ち後しばらくは親鳥について餌の採り方・飛び方などを学ぶが、秋頃には親離れし、ひとり立ちまたは幼鳥・若鳥のゆるい群れを作って行動する。親子で渡りをすることはほとんど無い。

== 人間との関係 ==
野火・伐採による営巣木の減少、[[ダム]]建設・[[干拓]]・排水・乱獲による獲物の減少、農薬・原油・重金属などによる水質汚染、道路建設や電線の設置・人間の撹乱によって生息数は減少している<ref name="oosako" />。大韓民国では1971年に最後のオスが密猟されたことで、繁殖個体群は絶滅した<ref name="takeshita" />。1975年のワシントン条約発効時からワシントン条約附属書Iに掲載されている<ref name="species+" />。1999年の生息数は約3,000羽と報告されている<ref name="iucn" />。2005年における長江での個体数は1,194羽と報告されている<ref name="iucn" />。

=== 日本 ===
明治時代以前は樹上にとまったり営巣したりしない[[タンチョウ]]と混同され、「松上の鶴」など絵画の[[モチーフ]]になっていたとされる<ref name="komiya_b">小宮輝之「ニホンコウノトリ 衰退と飼育の歴史」『世界の動物 分類と飼育8 (コウノトリ目・フラミンゴ目)』黒田長久・森岡弘之監修、[[東京動物園協会]]、1985年、59-64頁。</ref>。日本国内では鶴とつく地名があるが、実際は冬鳥として飛来するタンチョウなどのツル科の構成種ではなく本種と混同されていたと考えられている。松の樹上に巣を作る本種(ツル科はアフリカに分布するカンムリヅルを除き樹上にとまらない)は瑞鳥としてツル類と混同され、絵画や装飾のモチーフとして昭和初期まで用いられていた。

日本では元々は広域に分布していた<ref name="oosako" /><ref name="ezaki_b" /><ref name="komiya_b" />。19世紀には[[江戸]]市中でも繁殖していた記録がある<ref name="takeshita" /><ref name="ezaki_b" />。古文書から[[葛西]]の樹上・[[青山 (東京都港区)|青山]]や[[蔵前]]の寺院の屋根で営巣していたとする記録がある<ref name="komiya_b" />。[[カール・ハーゲンベック|Carl Hagenbeck]]も[[駿府城]]の樹上や、[[横浜市]]で飛来していたのを目撃したと記録している<ref name="komiya_b" />。明治時代に乱獲により激減し<ref name="takeshita" /><ref name="komiya_b" />、日本での繁殖個体群は兵庫県[[但馬国|但馬]]地区と福井県[[若狭国|若狭]]地区の個体群を除いて絶滅した<ref name="oosako" />。但馬地区([[豊岡市]]周辺)では[[出石藩]]であった頃に藩主により本種が霊鳥として保護されていたことから保護意識があり、絶滅を免れたとされている<ref name="komiya_b" />。1908年には禁猟とされ、1921年には生息地が[[天然記念物]]に指定された<ref name="ezaki_b" />。1930年の但馬地区での生息数は最大で約100羽と推定されている<ref name="naito_ikeda" /><ref name="ezaki_b" /><ref name="komiya_b" />。[[第二次世界大戦]]中に営巣地であった松林が[[松根油]]を採取するために伐採されたことや、食糧増産のための水田を荒らす害鳥として駆除されたことにより豊岡市周辺でも生息数が激減した<ref name="komiya_b" />。

[[太平洋戦争]]前後の食料不足の中で食用にされたこともあり<ref>2009年3月1日、京都府[[亀岡市]]で開催されたガレリアかめおか開館10周年記念事業「~ダイナミックかめおか~丹波学トーク64」における兵庫県立コウノトリの郷公園主任研究員・[[兵庫県立大学]]自然・環境科学研究所准教授の大迫義人の発言から。{{Full citation needed |date=2019-03-29 |title=この発言が、何らかの文献に掲載されているのでしたら、その書誌情報を記入してください。そうでないなら、出典としては無効です。}}</ref>、{{要出典範囲|1956年には20羽にまで減少してしまった。ちなみにこのコウノトリの減少の原因には化学農薬の使用や[[減反政策]]がよく取り上げられるが、日本で農薬の使用が一般的に行われるようになったのは1950年代以降、減反政策は1970年代以降の出来事であるため時間的にはどちらも主因と断定しにくく、複合的な原因により生活環境が失われたと考えられる|date=2017年12月}}。

第二次世界大戦以降は水銀系農薬による獲物の減少や繁殖力の低下(1960年代に変死例・繁殖の失敗が増加したこと、捕獲後に死亡した個体から大量の水銀が検出されたため)、近親交配により生息数が減少した<ref name="oosako" /><ref name="takeshita" /><ref name="naito_ikeda" /><ref name="ezaki_b" /><ref name="komiya_b" />。1953年に種として天然記念物、1956年に特別天然記念物に指定された<ref name="ezaki_b" /><ref name="komiya_b" />。

1961年5月25日頃の福井県小浜市羽賀で2羽が巣立ち<ref>{{Cite news|title=巣立った二羽のヒナ 小浜 天然記念物「コウノトリ」|date=1961-5-30|agency=読売新聞}}</ref><ref>{{Cite news|title=ヒナを巣立たせる 小浜湯ノ山の`コウノトリ夫婦、地元の人たちに見守られ|date=1961-5-30|agency=産経新聞}}</ref>、これが野生絶滅前最後の巣立ちとなった。{{要出典範囲|1962年に文化財保護法に基づき兵庫県と福井県が「特別天然記念物コウノトリ管理団体」の指定を受けた|date=2016年2月}}。1964年5月には福井県小浜市栗田で2羽の雛が孵化したが、この雛は2羽とも5月17日に死亡が確認された<ref>{{Cite news|title=小浜のコウノトリ ひな二羽死ぬ 犯人はトンビ?|date=1964-5-18|agency=毎日新聞}}</ref><ref>{{Cite news|title=二羽とも死ぬ 小浜 コウノトリのヒナ|date=1964-5-18|publisher=福井新聞}}</ref><ref>{{Cite news|title=ヒナ二羽とも死ぬ コウノトリ 犯人はトンビか 小浜市|date=1964-5-18|agency=朝日新聞}}</ref><ref>{{Cite news|title=ヒナ二羽死ぬ 福井のコウノトリ|date=1964-5-18|agency=産経新聞}}</ref>。

[[1965年]]から野生個体の捕獲と、飼育下で繁殖させる試みが進められるようになった<ref name="ezaki_b" /><ref name="komiya_b" />。捕獲された個体は短期間で死亡する個体が多く、闘争による死亡やケージなどの問題、前述した大量の[[水銀]]が体内から検出されたことが影響していると考えられている<ref name="komiya_b" />。[[1971年]]に豊岡市で野生個体を捕獲したことで、日本産の個体群は野生絶滅した<ref name="ezaki_b" />(この個体は捕獲後1か月で死亡している)<ref name="komiya_b" />。1966年に初めて[[神戸市立王子動物園]]が、以後は1972年に[[多摩動物公園]]、1978年に[[大阪市天王寺動物園]]などで、中華人民共和国産の個体を導入して繁殖させる試みが進められた<ref name="komiya_b" />。

[[ファイル:Kounotori_06f4439.jpg|thumb|right|コウノトリの郷公園で人工繁殖され飼育されているコウノトリ達。<small>公開ケージには給餌目当てにアオサギ、[[ダイサギ]]、[[チュウサギ]]、そして放鳥・野生コウノトリ達が集まってくることがある。(2006年9月撮影)</small>]]

{{要出典範囲|国内の野生最後の生息地の一つである福井県[[武生市]]に1970年12月2日に飛来した雌の一羽(コウちゃん)は、嘴を損傷しており、満足に餌を採ることができない状態で衰弱が激しかった為に保護され、1971年2月28日に豊岡市のコウノトリ飼育場に移送された。「武生」と改名されたその一羽は2005年6月20日まで生き、34年という国内最長飼育記録を建てると共に、115個の卵を産んだが、成長したのは雌の「紫」一羽のみだった。|date=2017年12月}}

[[多摩動物公園]]では、中国から譲り受けて人工飼育を続けていた結果、1988年4月5日に国内初の人工繁殖に成功した<ref>{{Cite news|title=コウノトリ赤ちゃん初めて誕生|newspaper=[[毎日新聞]]|date=1988-04-06|url=https://mainichi.jp/articles/20170424/org/00m/040/009000d|accessdate=2019-02-03}}</ref><ref name="chronol">{{Cite web |url=http://www.stork.u-hyogo.ac.jp/reintroduction/chronol/ |title=保護繁殖の歴史 |publisher=兵庫県立コウノトリの郷公園 |accessdate=2019-02-03}}</ref>。

豊岡市のコウノトリ飼育場(後に保護増殖センター)でも、[[極東ロシア]]の[[ハバロフスク]]から譲渡されたペアが1989年に飼育下繁殖に成功した<ref name="naito_ikeda" />。

大阪市[[天王寺動物園]]、{{要出典範囲|[[豊橋総合動植物公園]]|date=2017年12月}}でも繁殖が成功し<ref>{{Cite web |url=http://nakigoe.jp/nakigoe/2017/1701/report02.html |title=天王寺動物園情報誌〜なきごえ〜 Vol.53-01 2017年1月[冬号]|publisher=[[大阪市天王寺動物園|大阪市天王寺動物園協会]] |accessdate=2019-02-03}}</ref>、国内飼育数を増やしている。兵庫県では繁殖成功後の1992年4月22日には野生復帰計画が開始される<ref name="chronol" />。その後、コウノトリ飼育場では、近親交配を避けるため、何度か動物園やロシアからコウノトリをもらい受け、2002年5月5日には生育したものとあわせて飼育100羽を達成した<ref name="chronol" />。
[[ファイル:Kounotori_06f3684c.jpg|thumb|right|野生化のため豊岡市の空に放されたコウノトリ(J0362, 第一回放鳥)、背中に追跡用発信機が付けられている]]

1999年に本種の再導入を目的として[[兵庫県立コウノトリの郷公園]]が開園した<ref name="naito_ikeda" />。

2005年現在では豊岡市のコウノトリの郷公園周辺地域にコウノトリの生息可能な環境が整備されつつあり、周辺の農家も農薬の散布を控え、無農薬栽培に切り替える等の協力をしている<ref name="chugoku070522">{{Cite web |url=http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh200705220104.html |title=コウノトリひな誕生 皆で支える野生復帰に |accessdate=2018-06-29 |author=今藤祐馬 |date=2018-07-01 |website=中国新聞 |publisher=中国新聞社 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090207191510/http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh200705220104.html |archivedate=2009-02-07 |deadlinkdate= 2018-07-01}}</ref>。{{要出典範囲|そして、2005年9月24日には世界初の放鳥(餌をとるなどの訓練をつんだ8羽の中から選ばれた、2-7歳の雄2羽と雌3羽の計5羽)が行われ、34年ぶりにコウノトリが大空に羽ばたくこととなった。この放鳥式典には[[山階鳥類研究所]]総裁等を務める[[秋篠宮文仁親王]]・[[文仁親王妃紀子|紀子妃]]も参加し、約3500人もの参加者とともに見送った。放鳥にあたっては、飼育生活が長いので餌を求めるためか、2羽が30分程で戻ってきてしまうというハプニングも見受けられた。2005年12月24日には放鳥記念碑の除幕式が行われた。その後2006年4月14日には自然放鳥したコウノトリの産卵が確認され、続けて18日にも2卵目が発見された。しかし、これらの卵は孵化しなかった。|date=2017年12月}}翌2007年も放鳥個体による産卵が行われ、1つのペアから1羽が孵化した。この雛は2007年7月31日に無事に巣立った。日本の野外におけるコウノトリの孵化としては、1964年の福井県小浜市の雛2羽以来43年ぶり、巣立ちとしては、1961年の福井県小浜市の雛2羽以来46年ぶりのことであった。

{{要出典範囲|放鳥したコウノトリは背中に発信機をつけているため、数年は人工衛星から行動範囲を監視できるが、コウノトリの郷公園やボランティアにより放鳥個体の追跡調査も行われている|date=2017年12月}}<ref>{{Cite web|url=http://www.stork.u-hyogo.ac.jp/downloads/news_letter/cl007.pdf|title=キコニアレター No.7|accessdate=2020-5-5|publisher=兵庫県立コウノトリの郷公園}}</ref>。

日本では激減・絶滅の原因となった乱獲・営巣木の伐採・毒性の強い農薬の使用など禁止・規制されたものもあるが、[[湿原]]・池沼・[[ため池]]の干拓、排水、河川改修、[[谷戸|谷津田]]や[[里山#利用|薪炭林]]などの放棄、圃場整備による乾田化・水路のコンクリート化や農薬などにより生息地や獲物が減少しているといった問題がある<ref name="oosako" />。餌が不足しているからといって、「コウノトリのために」との思いで給餌する行為を認めることはできない。餌付けは保護ではなく<ref>{{Cite book|和書|title=野生動物の餌付け問題|date=2016-8-20|year=2016|publisher=地人書館|pages=198-200}}</ref>、環境整備によって餌を増やすのが原則であり、給餌により一部のコウノトリが生きていけたとしても、それはいずれ限界を迎え、コウノトリ個体群にとって悪影響こそあれ、良いことは無いと考えられている<ref>{{Cite book|和書|title=コウノトリ野生復帰の手引書|date=2018-3-31|year=2018|publisher=コウノトリの個体群管理に関する機関・施設間パネル|page=6}}</ref>。安易な餌付けのための[[外来種|外来種・国内移入種]]の放流やそれによる生態系の破壊<ref>{{Cite journal|author=保科英人|year=2016|title=「見た目優先」の風潮が生み出した!?新コウノトリ害鳥論|journal=自然保護|volume=553|page=|pages=20-21}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://karin21.flib.u-fukui.ac.jp/repo/BD00001001_001_cover._?key=EHSLDW|title=福井県におけるコウノトリ放鳥計画に関する一考察|accessdate=2019-11-25|publisher=福井大学}}</ref>、意図しない病原体の導入、個体集中による伝染病蔓延からの大量死<ref>{{Cite book|和書|title=野生動物の餌付け問題|date=2016-8-20|year=2016|publisher=地人書館|pages=159-165}}</ref>、人馴れしたコウノトリによる交通事故が危惧されている<ref name=":0">{{Cite web|url=https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000645099.pdf#search=%27%E6%96%87%E5%8C%96%E8%B2%A1%E4%BF%9D%E8%AD%B7%E6%B3%95+%E3%82%B3%E3%82%A6%E3%83%8E%E3%83%88%E3%83%AA+%E7%A6%8F%E4%BA%95%E7%9C%8C+%E7%AE%A1%E7%90%86%E5%9B%A3%E4%BD%93%27|title=あなたのまちにコウノトリが飛来したら、|accessdate=2019-11-29|publisher=兵庫県立コウノトリの郷公園}}</ref>。

2012年は再導入された個体数は約60羽に達し、2009年以降は大陸から飛来し周年生息するようになった個体と繁殖させる試みも進められている<ref name="oosako" />。

2013年12月、コウノトリの保全を全国的に進めていくにあたっての課題を共有し、連携して課題の解決にあたることを目的に、[[兵庫県立コウノトリの郷公園]]、[[多摩動物公園|東京都多摩動物公園]]、[[日本動物園水族館協会|(公社)日本動物園水族園協会]] 生物多様性委員会が中心となり、コウノトリの保全に取り組む機関や施設に参加を呼びかけ、[https://ippm-ows.jp/ 『コウノトリの個体群管理に関する機関・施設間パネル(Inter-institutional Panel on Population Management of the Oriental White Stork 略称:IPPM-OWS)』]が設立された。オブザーバーとして関連する国の省庁が参加している<ref name=":0" /><ref name=":3">{{Cite web|title=概要 {{!}} コウノトリの個体群管理に関する機関・施設間パネル|url=https://ippm-ows.jp/overview.html|website=ippm-ows.jp|accessdate=2019-11-24|language=ja}}</ref>。

こうのとりの里(千葉県野田市)では、2015年以降、施設内で誕生したコウノトリを8年連続で放鳥しており、2022年5月8日にも雄「はく」を放鳥した。野生で生存する野田市生まれのコウノトリは11羽を数えている<ref>{{Cite web |title=コウノトリを放鳥しました |url=https://www.city.noda.chiba.jp/kurashi/oshirase/seikatsukankyo/1035569.html |website=野田市ホームページ |access-date=2022-08-07 |language=ja}}</ref>。

2018年、再導入された個体の内、飼育個体が100羽<ref name=":1">{{Cite web |url=http://www.stork.u-hyogo.ac.jp/ex_situ/captive_ows_num/ |title=飼育個体数 |publisher=兵庫県立コウノトリの郷公園 |accessdate=2019-03-29}}</ref>、野外生息個体が144羽の計244羽となり<ref name=":2">{{Cite web |url=http://www.stork.u-hyogo.ac.jp/in_situ/in_situ_ows_num/ |title=野外個体数 |publisher= 兵庫県立コウノトリの郷公園 |accessdate=2019-03-29}}</ref>、2021年は飼育個体が94羽<ref name=":1" />、野外生息個体が217羽の計311羽<ref name=":2" />、2022年は飼育個体が182羽、屋外個体数が309羽に増えた<ref name=":3" />。
{{絶滅危惧IA類|ref=<ref name="oosako" />}}

野外生息個体が増えるにつれて、有害鳥獣から農業被害などを防ぐための防鳥ネットや電線などの人工物にコウノトリが絡まる被害が問題化している<ref>{{cite news |url=http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019010701000635.html?ref=rank |title=傷つくコウノトリ最多/進む野生復帰 防鳥ネット・電線に課題/17年度19羽 安全な環境づくりを |newspaper=[[東京新聞]] 夕刊 |date=2019年1月7日 |page=6 |accessdate=2019年1月24日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190124203655/http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019010701000635.html?ref=rank |archivedate=2019-01-24}}</ref>。2018年8月28日に茨城県[[小美玉市]]下玉里共栄のハス田で防鳥ネットに絡まっているコウノトリ1匹が保護された。8月30日に死亡が確認された<ref>{{Cite web |url=https://www.wbsj-ibaraki.jp/?topic=topic-4 |title=今春 野田生まれのコウノトリ 小美玉市のハス田で保護 |website=WBSJ Ibaraki |publisher=日本野鳥の会茨城県 |accessdate=2019-03-29}}</ref>。

日本では1885年に[[恩賜上野動物園]]で飼育された記録(以後は少なくとも1923年・1935年にも)がある<ref name="komiya_b" />。同種とされていたヨーロッパコウノトリ(基亜種シュバシコウ)と比較すると、闘争によって死亡することがありペア形成および飼育下での繁殖が難しいとされる<ref name="komiya_b" />。
=== ヨーロッパ ===
[[シュバシコウ]]を参照のこと。

== 足環 ==
コウノトリを1羽ずつ個体識別するため、リリースあるいは野外で巣立ちをしたコウノトリには個体番号を付けるとともに、番号に対応したパターンの色のついた足環を装着する。標識の年月日と場所、孵化年月日、性、親鳥などの情報が分かるので、世界中のどこで発見されても、その個体の年齢や性別、巣立ち後の経過、他個体との血縁関係などが分かる。

色は黒、黄、赤、青、緑の5色で、5進法により個体番号と1対1で対応している。足環と個体番号は、[https://ippm-ows.jp/ IPPM-OWS]が管理と提供を行っている。<ref>{{Cite book|和書|title=コウノトリ野生復帰の手引書|date=2018-3-31|year=2018|publisher=コウノトリの個体群管理に関する機関・施設間パネル|page=58}}</ref>

[http://www.stork.u-hyogo.ac.jp/in_situ/ind_identif/ 足環カタログ]は[[兵庫県立コウノトリの郷公園]]のHPから閲覧できるほか、[https://ippm-ows.jp/ IPPM-OWS]のHPおよび[https://kounotori.ippm-ows.jp/ そのスマートフォンアプリ]から検索できる。

== 伝承 ==
[[兵庫県]][[豊岡市]]下宮に鎮座する[[久久比神社#コウノトリ伝説|久久比神社]]には、コウノトリ伝説が残されている。

[[岡山県]][[倉敷市]][[児島]]の[[琴浦]]地区に鎮座する[[鴻八幡宮#コウノトリ伝説|鴻八幡宮]]には、八幡宮の名前の由来となったコウノトリ伝説が残っている<ref>{{Cite book|title=「琴浦の祭りとだんじり」|date=1998|year=1998|publisher=鴻八幡宮祭りばやし保存会|last=大谷壽文}}</ref>。

[[埼玉県]][[鴻巣市]]に鎮座する[[鴻神社#コウノトリ伝説|鴻神社]]には、神社の名前由来となったコウノトリ伝説が残っている。

七つの外湯めぐりで形成される[[城崎温泉]]には、七つの外湯の一つに、本種が傷を癒していた事により発見したと伝説が伝わる「鴻の湯」がある。

ヨーロッパでは、「赤ん坊はコウノトリの嘴で運ばれてくる」「コウノトリが住み着いた家には幸福が訪れる」という言い伝えがあるが、本種ではなく、[[シュバシコウ]](''Ciconia ciconia'')である(ヨーロッパに本種は生息しない)。

== 関連項目 ==
* [[こうのとり (列車)]] - 2011年3月に特急「北近畿」から改称された[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]の特急列車。
* [[但馬空港]](コウノトリ但馬空港)
* [[埼玉県]][[鴻巣市]] - 市の名前の由来の一つとして「こうのとり(鴻)伝説」がある。2022年より[[鴻巣市コウノトリ野生復帰センター|コウノトリ野生復帰センター天空の里]]がオープン。
* [[コーちゃん]] - 豊岡市の市鳥であるコウノトリのマスコットキャラクター。
* [[九州石油]](現・[[JXTGエネルギー]]) - ブランド名"STORK"はコウノトリの意。
* [[トキ]] - 日本では一度野生絶滅したのち、人工繁殖・野生復帰が進められている。
* [[宇宙ステーション補給機]] - 二号機打ち上げ前、愛称が「こうのとり」に決定した。
* [[兵庫県]] - 県の鳥として指定されている。
* [[西宮ストークス]] - チーム名の"ストークス"とはコウノトリの意。

== 外部リンク ==
* [https://ippm-ows.jp/ IPPM-OWS] - コウノトリの個体群管理に関する機関・施設間パネル。
* [http://www.stork.u-hyogo.ac.jp/ 兵庫県立コウノトリの郷公園]
* [https://web.archive.org/web/20150330082137/http://www.noe.jx-group.co.jp/kounotori/ JX日鉱日石エネルギー「コウノトリCSR」]{{リンク切れ|date=2017年12月}}
* [http://kounotori.org/bunkakan/ 豊岡市立コウノトリ文化館] - コウノトリの飼育施設や観察、学習ゾーンがあり、放鳥や環境保全など再野生化活動の拠点にもなっている。また豊岡市立の学習施設コウノピアが併設されている。兵庫県立コウノトリの郷公園内にある。
* [https://web.archive.org/web/20081020173544/http://www.city.toyooka.lg.jp/kounotori/pbtop.html コウノトリ観察日記(豊岡市)]{{リンク切れ|date=2017年12月}} - ボランティアによる放鳥・野生コウノトリの観察記録が公開されている。
* [https://web.archive.org/web/20150414053036/http://www.tajima.or.jp/modules/special/index.php/kounotori/top.html コウノトリにかける想い(但馬情報特急)]{{リンク切れ|date=2019年3月29日 (金) 13:27 (UTC)}} - 新聞記者によるコウノトリの巣立ちの手記が公開されている。そのほかにもコウノトリ関連の情報が多く寄せ集められている。

== 参照 ==

{{DEFAULTSORT:こうのとり}}
[[Category:鳥]]
[[Category:東欧神話]]

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