養蚕の起源は中国大陸にあり、浙江省の遺跡からは紀元前2750年頃(推定)の平絹片、絹帯、絹縄などが出土している<ref>亀山勝『安曇族と徐福 弥生時代を創りあげた人たち』龍鳳書房、2009年、84頁。</ref>。殷時代や周時代の遺跡からも絹製品は発見されていることから継続的に養蚕が行われていたものと考えられている。系統学的な解析では、カイコは約5000年前までにクワコ(''Bombyx mandarina'')から家畜化されたと考えられている<ref>=Sun, Wei, Yu, HongSong, Shen, YiHong, Banno, Yutaka, Xiang, ZhongHuai, Zhang, Ze, 2012-06, Phylogeny and evolutionary history of the silkworm、url=http://link.springer.com/10.1007/s11427-012-4334-7、Science China Life Sciences, volume=55, 6, pages=483–496, en, 10.1007/s11427-012-4334-7, 1674-7305</ref>。
扶桑樹が古代中国の、いわゆる「世界樹」だったとすると、疑問点が2つ出てくる。一つは、すでに述べたように、扶桑樹は鳥や蛇、巨人(河伯)と組み合わされ、関連している。台湾の巨人神には豚のように大食いだった、という伝承もある。鳥や蛇以外にも、扶桑樹に関連している動物はいないのだろうか。もう一つは、「桑」とは養蚕に関連するものである。ということは、養蚕が開始される以前は、扶桑樹に相当するものが古代中国には存在したのだろうか、それはどのようなものだったのだろうか、ということである。扶桑樹が古代中国の、いわゆる「世界樹」だったとすると、疑問点が2つ出てくる。一つは、すでに述べたように、扶桑樹は鳥、巨人(河伯)と組み合わされ、関連している。台湾の巨人神には豚のように大食いだった、という伝承もある。鳥や蛇以外にも、扶桑樹に関連している動物はいないのだろうか。もう一つは、「桑」とは養蚕に関連するものである。ということは、養蚕が開始される以前は、扶桑樹に相当するものが古代中国には存在したのだろうか、それはどのようなものだったのだろうか、ということである。
== 西王母と桑 ==