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18 バイト追加 、 2022年3月5日 (土) 07:52
しかし、伝承の上で、最終的に「鳥(烏)」であったものが、太陽と同一視されるようになった、ということは、「扶桑樹」のうちでも、「鳥(烏)」の要素を構成するものが中心となって、'''自分自身が権力を握りたい。自分こそが太陽神となりたい。'''と考え、太陽女神の地位にあった者を失墜させ、'''自らがとって変わった'''という、これは伝承ではなく、'''現実の歴史の上'''で起こったことと考える。日本神話では、八咫烏が「自ら王権のありかを決定する」、と示唆されており、王権のありかを定めるには「天照大神の子孫」とされていても、天照大神が直接定めるとはされていない。ただし、これは「八咫烏が天照大神の意を受けて定めた」とも受け取れるので、八咫烏とは人の組織や身分の上から言うと、「で起こったことと考える。日本神話では、八咫烏が「自ら王権のありかを決定する」、と示唆されており、王権のありかを定めるには「王(天皇)は天照大神の子孫」とされていても、天照大神が直接定めるとはされていない。ただし、これは「八咫烏が天照大神の意を受けて定めた」とも受け取れるので、八咫烏とは人の組織や身分の上から言うと、「'''神の意を伝えるシャーマン'''」のような立場と思われる。西欧では「鳥に選ばれた者が王になる」という伝承もある。王権は神が授ける、という考えはキリスト教と結びついて、観念としては現在までも残っているのではないのか、と思う。

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