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家畜化されたヒツジの祖先は、モンゴルからインド、西アジア、地中海にかけて分布していた4種の野生ヒツジに遡ることができる。中央アジアのアルガリ、現在の中近東にいるアジアムフロン、インドのウリアル<ref group="注釈">ウリアルはアジアムフロンの亜種とする説もある。</ref>、地中海のヨーロッパムフロンがこれにあたる。これら4種は交雑が可能であり、遺伝学的手法によっても現在のヒツジの祖を特定するには至っていないが、いくつかの傍証からアジアムフロンが原種であるとの説が主流となっている。
ヒツジを家畜化するにあたって最も重要だったのは、[[脂肪]]と毛であったと考えられている。肉や乳、皮の利用はヒツジを家畜化するにあたって最も重要だったのは脂肪と毛であったと考えられている。肉や乳、皮の利用は[[ヤギ]]が優れ、家畜化は1000-2000年程度先行していた。しかし山岳や砂漠、[[ステップ (植生)|ステップ]]など乾燥地帯に暮らす[[遊牧民]]にとって、重要な栄養素である脂肪はヤギからは充分に得ることができず、現代でもヒツジの脂肪が最良の栄養源である。他の地域で脂肪摂取の主流となっているブタは、こうした厳しい環境下での飼育に適さず、宗教的にも忌避されている。こうした乾燥と酷寒の地域では尾や臀部に脂肪を蓄える品種が重視されている。それぞれ、脂尾羊、脂臀羊と分類される。2000年程度先行していた。しかし山岳や砂漠、ステップなど乾燥地帯に暮らす遊牧民にとって、重要な栄養素である脂肪はヤギからは充分に得ることができず、現代でもヒツジの脂肪が最良の栄養源である。他の地域で脂肪摂取の主流となっているブタは、こうした厳しい環境下での飼育に適さず、宗教的にも忌避されている。こうした乾燥と酷寒の地域では尾や臀部に脂肪を蓄える品種が重視されている。それぞれ、脂尾羊、脂臀羊と分類される。
=== 羊毛の歴史 ===
{{see also|en:Sheep shearing}}毛の利用については、{{いつ範囲|現代|date=2016年3月}}<sup>いつ範囲、現代、2016年3月</sup>のヒツジと最初期のヒツジとでは様相が大きく異なる。
野生のヒツジの毛(フリース)は2層になっている。外側を太く粗く長い「上毛(粗毛、'''[[:en:Kemp (wool)|ケンプ]]''')」に覆われ、肌に近い内側に産毛のような短く柔らかく細い「下毛(緬毛、'''[[ウール]]''')」がわずかに生えている。最初期のヒツジの緬毛(ウール)は未発達で、利用されていなかった。一方、野生のヒツジは春に上毛(ケンプ)が抜ける(換毛)性質があり、紀元前から人類は、この抜け落ちた上毛(ケンプ)によって[[フェルト]]を作っていたらしい)」がわずかに生えている。最初期のヒツジの緬毛(ウール)は未発達で、利用されていなかった。一方、野生のヒツジは春に上毛(ケンプ)が抜ける(換毛)性質があり、紀元前から人類は、この抜け落ちた上毛(ケンプ)によってフェルトを作っていたらしい<ref group="注釈">紀元前の中国、ドイツ、北アジアにその痕跡があるが、はっきりしたことはよく分かっていない。</ref>。現在われわれが通常に羊毛(ウール)として親しんでいるのは、主にこの下毛を発達させるように品種改良された家畜用ヒツジの毛である。現代の家畜化されたヒツジは換毛しない。
[[ファイル:Jason Pelias Louvre K127.jpg|thumb|ギリシアの黄金の羊毛の伝説]]
家畜化されたヒツジは改良によって、上毛(ケンプ)を退行させる代わりに、'''ヘアー'''(適当な訳語がない)と呼ばれる中間毛と緬毛(ウール)を発達させた。紀元前4000年ごろにはヘアータイプやウールタイプのヒツジが分化している。紀元前2000年ごろの[[バビロニア]]はウールと穀物と植物油の三大産物によって繁栄した。バビロンの名は「ウールの国」の意味であるとする研究者もいる<ref>「品種改良の世界史」,2010,正田陽一編,悠書館,ISBN 978-4-903487-40-3</ref><ref group="注釈">一般的には「バビロン」は“神の門”を意味するとか、創世記に登場するバベルの塔の逸話に因む“混乱”の意であるとかといった説が主流であるが、最古期の語源は言語が解読されておらず不明とされている。</ref>。
[[ファイル:Suovetaurile Louvre.jpg|thumb|1世紀ローマのレリーフ]]
野生タイプのヒツジの上毛(ケンプ)は黒色、赤褐色や褐色であったが、改良によってヘアーやウールタイプのヒツジからは淡色や白色の毛が得られ、染料技術と共にメソポタミアから[[エジプト]]に伝播し、彩色された絨毯は重要な交易品となった。紀元前1500年頃から、地中海に現れた[[フェニキア]]人によって白いウールタイプのヒツジが[[コーカサス]]地方や[[イベリア半島]]に持ち込まれた。コーカサス地方のヒツジは、のちに[[ギリシア]]人によって再発見され、[[イアーソーン#コルキスの金羊毛皮|黄金羊伝説]]となった。このヒツジは<!-- コルキス種となり、-->ローマ時代には<!-- 南イタリアで-->柔らかく細く長く白いウールを生むタランティーネ種へ改良された。[[トガ|ローマ人が着用した衣服]]はウールの織物である。一方、イベリア半島では、すでに土着していたウールタイプのヒツジとタランティーネ種の交配による改良によって、更なる改良が続けられ、1300年頃の[[カスティーリャ]]で現在の'''[[メリノ種]]'''が登場した。

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