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150 バイト追加 、 2022年2月28日 (月) 19:37
上記の他にも、異界から作物を得る話、盗んでくる話、鳥の他に狐や鼠が種をもたらす話、歌が作物をもたらす話などがある。1は「天人から穀物を得た」というオーソドックスな物語である。「天の神」というものを有している民族であれば、このような神話が生まれるのは妥当といえる。穀物を誰がもたらしたのかは明確ではない。チャリババオが直接もたらしたのか、鳥や獣が媒介したのかは不明である。
2について。粟の霊を怒らせると、鳥になって飛び去るという物語(2)は、粟が鳥と同一のものとみなされていることが分かる。現実的には鳥と植物は別々のものなのだが、「鳥と植物の一体化」が既に紀元前1000年頃の中国では始まっていた、という証拠になると思う。なぜなら、「鳥仙女が穀物を持って下降してきて、人々に耕作を教えた」となれば、鳥仙女と穀物は別々のもので、穀物を食べても、それは鳥仙女を同様に食べても良い、ということには繋がらない。鳥=穀物、ということになれば、それは'''下降してきた鳥仙女を穀物と同じ物として食べてもよい'''、ということにはならないだろうか。ハイヌウェレ神話は、一方で人々を支配するムルア・サテネがいるのに、すでに下位の女神は「芋と同じ物として殺して食べてもよい」という存在に変化している。河伯に人身御供を捧げるのみならず、女神を作物の支配者から、作物そのものに変更することで、'''新たな「人身御供」の定義が出現した'''とみるべきである。作物は元々「神が支配するもの」であったのだから、「女神が作物と同じ物」とされて、その地位が低下することは、社会的にはとみるべきであるし、やはり過渡期の物語であると思う。女性(女神)を害すと罰を受ける、という要素も残っているからである。作物は元々「神が支配するもの」であったのだから、「女神が作物と同じ物」とされて、その地位が低下することは、社会的には'''女性の地位の低下'''を意味するのではないだろうか。そして、ハイヌウェレ神話を元にした祭祀が存在するならば、ムルア・サテネの人類に対する復讐はもはや何の意味も持たず、殺される女性達は「ただ作物だから」という理由だけで、人間扱いもされずに殺されることになるだけである。
== 扶桑と養蚕 ==

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