2は河伯に対して、人身御供のみならず、動物の生贄も捧げていたのではないか、と示唆される物語である。しかし、羿神話の趣旨でもあるように、怪物である河伯は退治されており、「人身御供の禁止」の動きもあったことが示唆される。山から焼け石を落として殺害するエピソードは大国主神話に通じる。'''神を殺してバラバラにすることは、必ずしも「芋の発生」にはつながらない'''、という一例である。他にも「バラバラにされる神」とは中国神話の蚩尤、日本の伝承の八面大王がいる。蚩尤の血からは楓が生じた、と言われ、かろうじて植物との関連性が残されているが、八面大王にはそれすらない。ギリシア神話のメーデイアも幼い弟をバラバラにするが、植物には変化しない。
=== 罰を受ける女性 罰を受ける女神 ===
<blockquote>
'''大きい男の話'''
|}
で、連続性と色々な展開があり、必ずしも母親と息子の物語ではないのだけれども、「母女神が罰を受ける物語」としては、母と息子の関係が動機という大きな役割を果たすということになる。で、連続性と色々な展開があり、必ずしも母親と息子の物語ではないのだけれども、「'''罰を受ける女神の物語'''」としては、母と息子の関係が動機という大きな役割を果たすということになる。
また、2のパターンは、一つには西欧の民話に出てくる「半分男」の物語と、アルナが女性に変身できる能力がある(去勢=男性の女性化)という物語に分かれていく。「半分男」はアルナのように、生まれながらに魔力を扱えるような存在となる。去勢して女性化した神は、やがて自らも息子を去勢して操るキュベレーへと変化する。「息子を去勢して従順化を求める神」の思想は、キュベレー信仰の神官は去勢すべし、という思想につながっただけでなく、仏教の僧侶、カトリックの神父と言った聖職者に「去勢はしていなくても独身と純潔を求める」という思想にもつながっていると思う。よって、物語の発生時期よりもはるか後世の宗教思想に影響を与えた物語、といえると思う。