: 主に平安時代の公家が遊興で使用したといわれ、座ったままで行う正式な弓術で、対戦式で的に当った点数で勝敗を争った。後に江戸時代には、的屋(まとや)が営む懸け物(賭けごと)の射的遊技として庶民に楽しまれ、江戸時代の後期には、隆盛を極め、好ましくない風俗の側面まで持つようになった。そして大正時代まで続いたといわれるが、江戸時代から大正に至るまで好ましくない賭博や風俗だと考えられ、度々規制や禁止がなされた。
:; 的屋(まとや)
:: 公家の楊弓と祭り矢・祭り弓を起源とし、江戸時代には懸け物の射的遊技が出来た。[[祭り]]や[[市]]や[[縁日]]が立つ[[寺社]]の[[参道]]や[[境内]]、[[門前町]]・[[鳥居前町]]・[[遊廓]]で出店や夜店として大規模な楊弓店、から小さな矢場といわれる小店があり、弓矢を使い的に当て、的の位置や種類により、商品や賞金が振舞われた。公家の楊弓と祭り矢・祭り弓を起源とし、江戸時代には懸け物の射的遊技が出来た。祭りや市や縁日が立つ寺社の参道や境内、門前町・鳥居前町・遊廓で出店や夜店として大規模な楊弓店、から小さな矢場といわれる小店があり、弓矢を使い的に当て、的の位置や種類により、商品や賞金が振舞われた。
::; 矢取り女
::: 江戸後期から矢場や楊弓場に現れた、矢を拾い集める係の従業員で、客の放つ矢を掻い潜って(かいくぐって)行うのが一つの「[[芸]]」で、それを客も楽しんだ。時には客の放った矢が当ることもあり、防護として尻に厚い[[真綿]]を着けていたといわれる。また店によっては賞品として、矢取り女が閨までともにしたといわれる。[[矢場女]](やばおんな)とも呼ばれる。また矢の回収はいつの時代も女性が行っていたとは限らず、危険な役割から、危ない場所を矢場と言う様になり、危ないことを「矢場い・やばい」と表現し、[[隠語]]として使用した江戸後期から矢場や楊弓場に現れた、矢を拾い集める係の従業員で、客の放つ矢を掻い潜って(かいくぐって)行うのが一つの「芸」で、それを客も楽しんだ。時には客の放った矢が当ることもあり、防護として尻に厚い真綿を着けていたといわれる。また店によっては賞品として、矢取り女が閨までともにしたといわれる。矢場女(やばおんな)とも呼ばれる。また矢の回収はいつの時代も女性が行っていたとは限らず、危険な役割から、危ない場所を矢場と言う様になり、危ないことを「矢場い・やばい」と表現し、隠語として使用した<ref name="yabai">言葉「'''やばい'''」の使用は古くからあり、1955年(昭和30年)5月発行の『[[広辞苑]]』第一版2144頁で[[形容詞]]「危険である」の隠語と推論され、さらに1969年(昭和44年)5月発行第二版2227頁では「やば」は不都合、けしからぬ、奇怪として『[[東海道中膝栗毛]]』の使用例を引用し、「危険」の使用例も示している。1915年(大正4年)5月発行[[京都府警察部]]出版、[[警視]][[富田愛次郎]]監修『隠語輯覧』二類、三類でも同様の意味合いで載ると[[復刻版]]の『隠語辞典集成』第2巻[[1996年]](平成8年)12月大空社発行(ISBN 」の使用は古くからあり、1955年(昭和30年)5月発行の『広辞苑』第一版2144頁で形容詞「危険である」の隠語と推論され、さらに1969年(昭和44年)5月発行第二版2227頁では「やば」は不都合、けしからぬ、奇怪として『東海道中膝栗毛』の使用例を引用し、「危険」の使用例も示している。1915年(大正4年)5月発行京都府警察部出版、警視富田愛次郎監修『隠語輯覧』二類、三類でも同様の意味合いで載ると復刻版の『隠語辞典集成』第2巻1996年(平成8年)12月大空社発行(ISBN 4-7568-0333-4/-0337-7)は記載している。</ref>。:::{{See also|的屋#的屋と遊女}}
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; 投壺(とうこ)