また、仮に'''羿が射落としたものが「太陽」ではなくて、その召使いの鳥であったとしても、それは紀元前11世紀よりも古い時代に「太陽そのもの」に変えられてしまって、太平洋方面に伝播した'''ことが分かる。
2.こちらは、起源がとても古い物語であると思う。「母が太陽を突き刺した」とあるが、この「母」とはそのようなことが可能であるほど強い力を持った女神といえる。ハイヌウェレ神話のムルア・サテネ的な女神である。ここでも羿神話と同様の問題が起きる。「母」が「突き刺した太陽」とは、太陽なのか、それとも本当は召使いの鳥なのか、ということである。
*(1)母が刺したものを「太陽」とすれば、「母」は太陽に逆らう者で罰を受けねばならない者である、ともいえる。
*(2)「母」の方が太陽女神であったのだとすれば、「母」は逆らう召使いを刺した、といえる。
物語は、(1)と(2)の中間であって、捉え方によっては、太陽女神が太陽を殺してしまった、というようにも解釈できる。おそらく(2)の神話が先にあって、羿神話の鳥神が太陽神に変更されるのに伴って(1)の形に変えられる途中の物語なのだと思われる。(2)の方は、日本の記紀神話に類話があるから、古い形なのではないか、と予想されるのである。'''天照大神は自らに逆らう部下の須佐之男と自ら戦い、天界から追放する。'''記紀神話には、天之手力男神、思金神といった天照大神を助けてくれる神々もいるが、女神は自ら須佐之男と戦う。中国の辺縁部に残っている伝承の方が、古い形式を残しているといえる。ただし、台湾では、「母」と戦った相手、すなわち日本神話の須佐之男の方が「太陽神」であるという形への変化がすでに始まっているのである。羿神話との連続性については、シュメール神話に興味深い物語がある。
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シュメールの女神イナンナは自らの所有物である世界樹によこしまな鳥や蛇が巣くってしまったので助けを求めた。その結果、英雄王ギルガメシュが怪物を退治したり、追い払ったりして女神を助けた。
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というものである。「怪物」と戦うものが、女神でもあり、英雄でもあるということを示している。羿が神々の意を受けて「怪物の太陽」と戦ったのは、本当は「本物の太陽女神」の意向であり、女神と共に戦った、と、そう纏めるための神話の片鱗が(2)であるように思える。
=== 織女と怪物 ===