2.昔、カラマエ、またはマハルと称する巨人ありけり。極めたる好き者にして、機織る女を見れば必ず姦せり。また山に行きて口を開きてあれば、獣類は洞穴と見誤りて飛び込みけり。かかる巨人なればその陰茎もまた大にして、驟雨にて水増したる時には社人常に彼を呼びて、その陰茎を橋とせしものなり。されど彼ありては山中の獣類みな絶滅すべしとて、社人協議して、山より焼け石を転ばし、鹿なりと偽りて吞ましめて殺せり。その時彼、いうよう、我死なば必ず地震および悪疫流行すべしと。しかして彼に姦せられたる女の夫らは、彼の死後その体を細断して捨てたり。これその種の残るを怖れてなり。(アタヤル族スコレク群大嵙崁部族角板山社、『蕃調』pp.304-305)<ref>神々の物語 台湾原住民文学選5 神話・伝説・昔話集、紙村徹編・解説他、草風館、271-272p</ref>
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1は「羿と雒嬪(らくひん)」と非常に粗筋が似た物語である。古代中国における「河伯」とは巨人であり、元は男女を問わず人身御供を求めた神であったことが示唆される。時代が下る特に若い女性を「妻」と称して人身御供に求めるようになったのは「好色な神」とされていたからではないのか、と思う。「織女」とは人身御供の乙女の「象徴」でもあるし、消されてしまった「太陽女神」の象徴を暗喩するようにも思える。
2は河伯に対して、人身御供のみならず、動物の生贄も捧げていたのではないか、と示唆される物語である。しかし、羿神話の趣旨でもあるように、怪物である河伯は退治されており、「人身御供の禁止」の動きもあったことが示唆される。
=== 罰を受ける女性 ===