それはともかく、「ハイヌウェレ」とは「殺された女神」である、とのイェンゼンの説なのであるが、ハイヌウェレ神話の前半は、非常に「竹取物語」や「竹取説話」に類似していて、元は「女神が親切にしてくれる人に豊穣をもたらす物語」であったことが分かる。だから私はイェンゼンに対して、声を大にして言いたい。「'''かぐや姫は殺されないからハイヌウェレではないのかよ!'''」と。どう見ても、かぐや姫とハイヌウェレは、元は「同じ女神」なのに、である。」と。どう見ても、かぐや姫とハイヌウェレは、元はオーストロネシア語族に共通する「同じ女神」であったと思われるのに、である<ref>日本語はオーストロネシア語族とアルタイ語族の混合言語であった、という説がある。文化的に見ても、その通りだと思う。</ref>。
だから、誰がこまどりを殺したのかはさておき、「殺される女神」の物語と、「農作物をもたらした女神」の物語は、本来別々のものであったものが、一つに纏められたものなのだと思う。だから、狭姫やギリシアのデーメーテール女神のように、「農耕の女神」であっても、殺されない女神はいくらでもいるのである。