プルシャ

提供: Bellis Wiki3
ナビゲーションに移動 検索に移動

プルシャpuruṣa, पुरुष)とは

  • インド神話に登場する存在。原人とも巨人とも呼ばれる。
  • サーンキヤ学派がたてた精神原理。
  • サンスクリットで私、霊魂、自我あるいは人間、男性など意味する語。

インド神話[編集]

世界の最初に存在したとされ、『リグ・ヴェーダ』においては、原人プルシャの身体から太陽や月、神々や人間など世界の全てが生まれたという。

千個の目と千個の頭、千本の足を持つと言われる。

『リグ・ヴェーダ』10章の創造讃歌『プルシャ・スークタ(Purusha_Sukta)(原人の歌)』は、4つのヴァルナ(社会的身分)が生まれた由来を問い、その答えのなかとして次のように説明している。

リグ・ヴェーダの第10巻の第90番目の讃歌であるプルシャ・スークタでは、ヴァルナはプルシャの体のさまざまな部分から創造された人間として描かれている。このプルシャ・スークタの詩節は議論を呼んでおり、マックス・ミュラーなど多くの学者は、ヴェーダに中世または近代に挿入された改ざんであると考えている[1][2]。なぜなら、プルシャの概念を含むヴェーダの他のすべての主要な概念とは異なり、4つのヴァルナはどのヴェーダでも他のどこにも言及されておらず、この詩節はインドのさまざまな地域で発見されたいくつかの写本印刷物では欠落しているからである[3]

神々が原人を切り分かちたるとき
いくつの部分に切り離したるや。
その口は何に、両腕は何になりたるや。
その両腿は、その両足は何とよばれるや。
その口はバラモン(司祭)となれり。
その両腕はラージャニヤ(武人)となれり。
その両腿からはヴァイシャ(農民、商人)、
その両足からはシュードラ(奴隷)生じたり。

「ヴァルナ」の原義は「色」であり、上位からそれぞれの4色であった。

サーンキヤの概念[編集]

サーンキヤ学派では、精神原理プルシャと物質原理プラクリティが対置されている。サーンキヤでは、プルシャは物質的要素をまったくはなれた純粋なものとされる。同学派は、「私はだれだれである」とか「私の何々は」といった意識は、プラクリティから生じた心理器官に属するとし、それらの意識は上位器官である理性に属するとするが、プルシャはそうした意識や理性とは別であるとし、またプルシャは様々な感情とも異なるとする。プルシャは、プラクリティの展開がつくりだす現象世界を観照するとする。プルシャを説明するのに、水面や鏡に映った映像を見る人のたとえが用いられている[4]

参考文献[編集]

  • Wikipedia:プルシャ(最終閲覧日:24-12-30)
  • Wikipedia:Purusha(最終閲覧日:24-12-30)

関連項目[編集]

注釈[編集]

  1. David Keane (2007), Caste-based Discrimination in International Human Rights Law, ISBN:978-0754671725, pp 26–27
  2. Raghwan (2009), Discovering the Rigveda A Bracing text for our Times, ISBN:978-8178357782, pp 77–88
  3. Rigveda 10/81 & Yajurveda 17/19/20, 25
  4. 『哲学思想事典』岩波書店、1998年 pp.1410-1411 茂木秀淳執筆担当

脚注[編集]