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*[[wikija:サラスヴァティー|サラスヴァティー]]:ヒンドゥー教の叡智の女神で、書記にも関連している。 | *[[wikija:サラスヴァティー|サラスヴァティー]]:ヒンドゥー教の叡智の女神で、書記にも関連している。 | ||
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2014年7月3日 (木) 16:51時点における最新版
ナニブガルまたはニサバあるいはニダバはシュメールの書記、学習、農業の女神である。ニサバの聖域はエリシュ(ウルク)とウンマのエザギン(聖所)にあった。ラガシュで発見された像によると、女神は長く垂らした髪を持ち、角状のティアラををつけている。そしてティアラの上には穀物(の葉)状の耳と三日月が描かれている。女神の豊かな髪は、ギルガメシュ叙事詩における「豊かな髪のエンキドゥ」についての記述を彷彿とさせる。
目次
神話
神々の中での地位
多くのシュメールの神々と同様、神殿内におけるニサバの正確な地位と役割はやや曖昧なようである。ニサバはアンとウラシュの娘とされている。シュメール語の文書によれば、「ウラシュ」を示す言葉は「ニンフルサグ」を示す言葉と非常によく似ている。そのため、この二女神は同一のものであると考えられる。ニサバはギルガメシュの母ニンスンの姉妹である。もしウラシュとニンフルサグが同一の女神であるとすると、ニサバもまたナンシェと(いくつかの文書では)ニヌルタの姉妹ということになる。
別の神話では、ニサバはニンリルの母と考えられ、更に拡大解釈すれば、エンリルの「法的な母」ということになる。
性質
知恵の神エンキは世界を創造した後、世界の秩序のためにそれぞれの神々に役割を定めたとされている。ニサバは「神々の書記」と名付けられ、エンキは彼女に学ぶための学校を建てたてめ、女神は必要とされている人々により良く仕えることができるようになったとのことである。女神は歴史的な出来事を記録し、その他にも神々の仕事に関する様々な書物を著した。また、女神は土地の境界をはっきりさせるという役割も担っていた。
女神はナンシェの書記長であった。新年の第1日目に、ニサバとナンシェは人々の紛争を解決し、必要な人には助けを与えるために、共同して働くとされていた。ニサバは助けを求めて訪れた人々を記録し、それから人々を裁きの神であるナンシェの前に1列に並ばせた。また、ニサバはケシュのニンフルサグ神殿の管理人ともみなされており、そこでは命令を下して、神殿の記録を残すとされていた。
書記と、教育の女神として、ニサバはしばしばシュメールの書記によって称えられた。多くの粘土板の最後には角のある女神「ニサバを称えよ (図5、DINGIR.NAGA.ZAG.SAL; Dnisaba za3-mi2)」との句が添えられている。ニサバは人間である書記とその他の神々の教師であると考えられていたからである。バビロニア(紀元前1894年~)の時代になると、女神の役割はナブーという男性神に受け継がれ、その性質は置き換えられた。場合によっては、ナブーがニサバに置き換わる以前には、ニサバはナブーの指導者あるいは妻だと言われていた。
叡智の女神として、ニサバは非常に多くの知的な学問に関わっており、神々はニサバの元にやってきて、助言や助けを求めたと思われる。これらの性質の一部は、ニサバの姉妹のニンシナと共有されている。ニンシナもまた、地母神としての性質を反映した、穀物に関連する女神である。
NAGAという楔形文字
ユニコード5.0で「NAGA」を示す文字はU+12240に割り当てられている(Borger 2003 nr. 293)。 AN.NAGA(図3)、AN.ŠE.NAGA(図4)はナニブガルと読める。また、NAGA、ŠE.NAGAは「ニダバ」あるいは「ニサバ」と読める。[2]
NAGAを逆向き(上下さかさま)にしたものが、U+12241に割り当てられている(図7)。そして、これら(図6と7)を「ナガと逆向きのナガ(NAGA OPPOSING NAGA)」として繋いだものは「渦巻く風」を意味するダルハムン7と読み、U+12243に割り当てられている(図8)。ダルハムン5は「ナガと逆向きのナガ神(AN.NAGA OPPOSING NAGA)」としてアレンジしたものであり、ダルハムン4は4つの「ナガ神(AN.NAGA)(図3)」を十字型に組み合わせたものである。
私的解説
ニサバとは、図像を見ると手に穀物の穂を持っており、本来的には単なる「書記の神」ではなく、「豊穣の女神」であったことが覗える。また、この女神の角はメソポタミア古来のトーテム獣である「山羊の角」ではなく、「牛の角」であると思われる。古代の西欧世界では、男女の神を習合させた「両性具有」の神がしばしばみられるが、ニサバのレリーフからは、この女神が「男根」を持っているかどうかははっきりしない。そして角の上には「三日月」が描かれ、ニサバが「太陽の女神」ではなく「月の女神」であることが強調されている。古代エジプトの豊穣神も兼ねる獅子頭女神達が、時代が下るほどに「太陽円盤を被っているにも関わらず月の女神とみなされる」傾向が強くなっていくのと同様に、紀元前2400年にはメソポタミアでも「豊穣の女神」が「月の女神」へと変更されていたことが分かる。
ニサバは「牛の角」を持つ「牛女神」といえるが、彼女の特徴の一つに「耳が植物(特に穀物?)」で現されることであると思う。同様の傾向は、古代エジプトにおいては、紀元前31世紀の「ナルメルのパレット」に認められる。古代エジプトの伝説的な始祖王とされるナルメルを描いた「ナルメルのパレット」の最上段には、耳が植物の葉の形をした「人面の牡牛」が描かれているのである。植物とは、草食動物である牛にとっては「餌」である。要するに、これらの神々は「牛」をトーテムとし、「豊穣の神」でありながら「その耳が餌で現されている」神々といえる。
権力の興亡が激しい古代メソポタミアにおいては、非常に古い時代にはニンフルサグとエンキの代表される「山羊」が重要なトーテム獣とされていた。そこに「牛」が登場するのはおそらく紀元前2600年頃にウルクの王となったと考えられるギルガメシュの頃ではなかったかと思われる。牝牛の女神ニンスンの息子とされるこの王は、「牝牛を母に持つ」という点で「牛トーテム」を持つ氏族の出であることが分かり、古代メソポタミアでは新興の勢力であったと思われる。またニンスン(Ninsun)という母女神の名は前半の「ニン」が「女神」を示す言葉であるとすると、スン女神あるいはサン女神という意味になる。「sun」というのは文字通り英語で「太陽」ということであるので、この名前は「牝牛の太陽女神」という意味で、印欧語族、特に英語やドイツ語に近縁性の高い名といえるように思う。
古い時代の神話によれば、エンキは山羊と魚(鯉)をトーテムに持つというだけでなく、その精から植物が生えたり、その体から植物が生えたり、という神話を持つ「植物神」でもある。また、古代メソポタミアの農業文化と、古代中国の農業文化の信仰には類似点が多く、「1対の太陽女神と月神が混沌からの世界の創造に関わっている」、という神話が両者の共通点といえる。
ニサバに纏わる神話では、ニサバの母神はウラシュという女神で、このウラシュはニンフルサグとほぼ同一視されているようである。しかし、ニサバとその姉妹のニンスンは「牛」をトーテムとする女神であるので、この系図は侵略者である「牛トーテムの人々」が、先住民である「山羊トーテムの人々」の神を吸収・習合する際に作られたものであって、ウラシュとは本来侵略者側の「神」として扱われていた存在であったのだと思う。この神がメソポタミアに定着する際に、先住民の神ニンフルサグと「同じもの」とされ、メソポタミアで有力な神であったアンやエンキの配偶神として入り込んだのであろう。
ニサバ(Nisaba)の名は「Ni-saba」と分けることができ、前半はメソポタミア的な女神の接頭辞であり、かつ「蛇トーテムの女神」であることを示す。後半は「Saba」であるので、ヘバト(Hebat)と同系統の名であり、古くからの農耕民の太陽女神の名に由来する。この古くからの太陽女神は、古代中国と同様、頭部が強調された女神であり、ニンフルサグ(「山の頭の女神」という意味)という名がメソポタミアの「頭」を意味する言葉に由来するとすれば、ニサバの名の後半部分は、ニンフルサグ本来の名に由来するのではないかと思われる。山羊トーテムの女神ニンフルサグが牡牛トーテムの女神に作り替えられる際に、二つに分けられて、母神がニンフルサグ・ウラシュ、娘神がニサバとされたもので、本来はニンフルサグもニサバも同じ神であったのであろう。そして牛トーテムの神ウラシュの娘とされていたニンスンがニサバの姉妹の地位に配置されたと考えられる。こう考えると、ニサバとは古い時代の農耕民族の太陽女神であったために、その名残でその手に「穀物の穂」を持つが、牛トーテム信仰の人々の神と習合させられた結果、トーテムが牛に変更され、かつ月女神へと変更させられた女神といえる。「書記の神」とされた点は、「叡智の神」の性質を太陽女神より引き継いだからであろう。しかし、女神としての「格」はそれほど高いものとはされず、人々に助言を与えて助けを与えるけれども、女神自身はそうして奉仕し、働き続けなければならない神とされている。これは被征服民の女神であったために、被征服民が支配者達のために働き続けなければならなかったように、彼らの神も「働き続けなければならない女神」とされたのであろう。しかし、時代が下って次第に男系が優位の時代に入ると、その職能的な地位ですら、男性神に明け渡さなければならなくなっていったようである。
同じく「豊かな髪」と言われるエンキドゥとの関連性を考察してみることとする。ギルガメシュ叙事詩におけるエンキドゥとは、最初「野人」と呼ばれるような、知恵の無い野蛮な人物であったが、人間社会になじませたところ、王であるギルガメシュと台頭に渡り合えるほどの力の持ち主であることが明かとなったため、二人は親友となった。(それまで、神の子であるギルガメシュは常人にはとても渡り合えない力を持っていたため、誰も彼と対等に戦うことができず、ギルガメシュはそれ故の孤独感を抱えてたのである。)二人は共に様々な冒険を行うが、神々の怒りに触れることすらも行ったために、死ぬべきと定められた。しかし、神の子であるギルガメシュはその運命を逃れることができたが、その身代わりとしてエンキドゥのみが冥界に送られることとなったとされているのである。
エンキドゥ(Enkidu)とは、「Enki-du」と分けられる名を持ち、いわば「蛇のエンキ」とも言うべき名である。(楔形文字でも「エンキ」の部分はエンキ神と同じ文字で現される。)要するに、これは先住の神「エンキ」を変形させたもので、この神を新興勢力の王ギルガメシュと「同等の力を持つもの」と称える一方で、「野人」と呼んで差別したり、ギルガメシュのために「犠牲となる存在」であると述べたりしているのがギルガメシュ叙事詩であるといえる。新興の牡牛トーテムの人々は、古きメソポタミアの太父エンキをこのように作り替えて、「犠牲神」としてしまっている。古代中国の農業文化発祥の文明といえる長江文明においては、「月の神」である「父神」は「耳」という存在でもあった。メソポタミアと古代中国の古き農業文化を比較すれば、太陽女神であった西王母とその夫の月神(魚神)との関係は、メソポタミアにおけるニンフルサグとエンキの関係に相当する。メソポタミアにおけるエンキも「耳の神」であったとすれば、植物で現される「ニサバの耳」もまたエンキの化身といえる。ギルガメシュ叙事詩の中、そして女神の像の中でも、「先住民の太父は殺して食い尽くすべき」という思想が明確に現れていることが分かる。そして、その妻神は人々に奉仕するために働き続けなければならない、とされている。表向きはいかに称えられているように見えても、これが牡牛トーテムを有する人々の先住民の信仰に対する扱いであった。
ニサバは豊かな「髮」を持った姿で現され、ギルガメシュ叙事詩におけるエンキドゥとの関連が示唆されている。また、時代はかなり下るが、フリギアのキュベレー・アッティス神話のアッティスも豊かな髪を持っていたとされている。もしかしたら「豊かな髪」とは、「植物が勢いよく葉を出して繁る様」の比喩的表現でもあるのかもしれないと思う。そして、それは植物神を「餌」と考える人々にとっては、「餌」、すなわち神としては「犠牲神」の象徴でもあったのではないだろうか。
ウラシュ(Uras)とは、子音で見た場合「(B)U-ra-s」と分けることのできる名である。この名は古代エジプトにおけるベス(Bes)の子音と共通している。このベスという神は男神であり、表向きは王権者から祀られる神であるというよりは、民間で盛んに信仰された神のようである。舞踏と戦闘、牧羊の神とされ、子供の守護者ともみなされていた。牧羊神であることから、遊牧民系の神であると思われる。メソポタミアにおいては、ウラシュは必ずしも牧羊神ではないように思え、女神として扱われるようである。しかし、その一方でメソポタミアにおける「ウラシュ」は「天」を指し、アンやニヌルタといった男性神を「ウラシュ」と呼ぶこともあるため、性別に関しては状況に応じて都合良く変わる神とされているようである。メソポタミアでは「両性具有の神」というものはほとんど見られないかわりに、神々は都合に応じて性別をころころと変えて信仰される傾向があるように感じる。ウラシュも性別という点では、曖昧な神であった。性別が曖昧な神や、両性具有の神は遊牧民系の神に多いように思われるため、ウラシュもベスと同様遊牧民系の神であり、メソポタミアでは太母であったニンフルサグと習合したために、女神と考えられるようになったものなのではないだろうか。
ニサバの名の多様性
ニサバは別名ニダバあるいはナニブガルなどともいい、その名も様々に作り替えられていたことが推察される神である。古代エジプトでは、「b」という子音と「d」という子音が規則的に置き換えられる傾向がみられるが、メソポタミアでは大雑把にニサバの「サ(s)」を「ダ(d)」に置き換えたりしているようである。
ナニブガルという名のうち、末尾に来る「ガル(gal)」という言葉は英語の「great」と同語源の言葉といえ、「偉大な」という意味を現す。そうすると、ナニブガルとは、「偉大なるナニブ(Nanib)」という意味になる。
シュメールにはナニブガルと同じ子音構成を持つ「ニニブ(Ninib)」という豊穣神がおり、ナニブガルとは、この神の延長にある「偉大なるニニブ」という言葉から派生した神であると思われる。ニニブは別名ニヌルタ(Ninurta)ともいうが、これは「Nin-urta」と考えれば、シュメールの太陽神ウトゥ(Utu)の女神的名前となる。ニニブ、ニヌルタ、ウトゥは男性神とされているが、女神的名前を持つ点からも、本来は「太陽女神」の名であったのであろう。「Uto」や「Buto」という神は、古代ギリシアでは、エジプトのウアジェト女神を指す言葉であったので、おそらくニニブ、ニヌルタ、ウトゥといった「太陽女神達」のトーテムは「蛇」であったであろう。ニサバという女神は、古い時代の「蛇の太陽女神」を「蛇の月女神」へと変更して、更に「NAGA」という楔形文字を当てはめることにした女神であることが、ここからも推察される。そしてこの名から、更に新しい神々が作り出されていったのではないだろうか。
バビロニアの時代にニサバの仕事を受け継いだ男神ナブー(Nabu)の名も、ナニブガル(Nanibgal)から、「gal」を除いただけの名といえる。書記の神かつ知恵の神であり、人類の運命を知るとされていたナブーの性質は古代エジプトの月神トートと類似しており、かつてはニサバから分かれて、ニサバと同様「月神」とされていたであろうことが示唆される。しかし、時代が下るとその性質は「水星」に移され、ローマ神話のメルクリウス(Mercurius)へと変遷していったようである。メルクリウスの名は、子音で分解すると「Mer-(k)curi-(b)u-s」となり、ニサバ(Nisaba)と非常に近い構成の名となる。ナブー、メルクリウスのいずれも、その起源はニサバという女神に由来することが示唆される名なのである。
NAGAという楔形文字
NAGA(ナーガ)とは、インド神話においては、蛇神のことである。ナーガという言葉には、英語の蛇(snake)という言葉と同語源であるという説もあり、印欧語の内でも、特に英語やドイツ語と近い言葉であるのではないだろうか。メソポタミアには古くから先住の蛇女神であるイナンナが存在するため、ニサバは新興の牛トーテムの人々の勢力にとっての「蛇女神」であって、イナンナと区別するために、イナンナを示す「MUSH」という文字ではなくて、「NAGA」という文字を当てはめたのだと思われる。牛トーテムの人々にとっての英雄王ギルガメシュは紀元前2600年頃の実在の王であると考えられているため、この王に関わる神々もこの時期に編成されたものなのではないかと、個人的には考える。彼らはおそらく「男系」重視の人々であったので、古い時代の権高き蛇の太母イナンナ女神は、更に古い時代の農業神であった蛙がトーテムの太陽女神ニンフルサグの性質の一部を取り入れつつ、新たに
- 人々に奉仕して働くための「蛇女神」であるニサバ
へと作り替えられたのであろう。そのトーテムはもはや「太陽」ではなく、明確に「月」とされていたようである。
関連項目
- 王様の耳は魚の耳:甲骨文字
- 掌の女神:甲骨文字
- テリピヌ:ニサバと近縁性の高い神
参照
- ユーリッヒ、ヘルムート:シュメール人。有史の書記の人々(1992, 2002)。(Bastei Lübbe, ISBN 3-404-64117-5.)
- ↑ 個人的には、このように作り替えられた女神であるニサバは、印欧語的な名を持つニンスン女神と共に「金髪碧眼」で現されるべきかもしれないと思う。
- ↑ 要するに「ニサバ神」あるいは「ニダバ神」と書いて「ナニブガル」と読む、と言いたいのであろう。