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(ページの作成:「本サイトは、基本的には「神話の比較研究」を愛好する管理人が、 * 一般的な基礎知識を得るために英語文献を訳したものを...」)
 
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また、管理人個人の「宗教的立ち位置」ですが、それは田舎の標準的な日本人とほぼ同様、すなわち具体的にいえば、「地域の神社の氏子」兼「家のお墓があるお寺の檀家」という以上の立場など「無い」と、それだけです。しかし、学術的な神話や歴史の勉強を愛好しておりますので、それが本サイトを立ち上げた動機となっております。
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また、管理人個人の「宗教的立ち位置」ですが、それは田舎の標準的な日本人とほぼ同様、すなわち具体的にいえば、「地域の神社の氏子」兼「家のお墓があるお寺の檀家」という以上の立場など「無い」と、それだけです。ただし、どうやら「由緒」だけはある家に生まれついているようですので、ご先祖様と、先祖の神様達の探求をしてみたいとそういう思いはあり、それが民俗学や歴史を勉強したいという動機になっています。本サイトを立ち上げた動機もそれ故ということになり得ます。<ref>要するに「由緒だけ」はあっても、「普通」の家かと。長野県には諏訪氏の氏族である「神家党」の末裔氏族が多く、おそらくその多くは我が家と同様、「由緒」はあっても「普通」のご家庭ではないかと推察されるのですが。しかし、「神家党」の一員であるということは、諏訪神と更にその古くに存在する出雲の神々を祖神に持つ一族の末裔でもあるということは事実なわけで、知識を得たいという欲望の動機は、良いことも悪いことも含めて、自身の先祖のことをもっと知りたい、というその点に尽きます。でも、先祖の神様の「教え」がどうこうだから、それに従いたい、とかそういう欲求は無いわけで、いくらご先祖探求が好きであっても、例え彼らをどんなに尊敬したとしても、縄文や弥生の人々が暮らしたように竪穴式住居に住んで、「ご先祖の神々と同じように生きたい」とは思わない人間で私はある、とそういうことに尽きるわけです。</ref>
  
  
 
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2014年1月31日 (金) 09:59時点における版

本サイトは、基本的には「神話の比較研究」を愛好する管理人が、

  • 一般的な基礎知識を得るために英語文献を訳したものを掲載する目的(その大半は英語版wikipedia)
  • 得た知識から感じた、個人的な考察を掲載する目的

のために運営されているため、

  1. 英語訳に拙い部分があり、その内容の正確性が必ずしも保証されない場合があり得ます。(注意はしているのですが 汗)
  2. 考察は一個人の「個人的な考察」ですので、一般的な学説とは一致しない場合があり得ます。また、他にも神話や宗教研究を扱ってらっしゃるサイトはネット上を検索すれば、いくらでも存在することと思われますが、それらのサイトとの見解の相違(あるいは類似)についても、いくらでもあり得ることで、他の方のサイトの見解はその方独自のもの、本サイトの見解は私の個人的な考察、ということで、双方の内容の類似性あるいは相違についての責任は負いかねます。どちらを好むのか、あるいはどちらを正しいと思うのかということは、それもまた「読まれた方の個人的な見解と責任に帰するもの」ということで、ご了承頂ければと思います。
  3. 本サイトは、基本的な情報に関する部分は、なるべく「一般的」と考えられるものを提供したいと考えているため、wikipediaという客観性に優れたサイトを多用させて頂いているわけですが、その内容の掘り下げや補足のためにwikipedia以外のサイトへの外部リンクを貼る場合もあり得ます。その場合、管理人自身が、特定の宗教を広めたいという意図を全く持っていない人間ですので、「特定の宗教の思想を広めるためのサイト」と感じられるサイトへのリンクはなるべく避けるように務めているつもりです(あくまでも判断の主体は管理人ですが)。しかし、神話や宗教の比較考察をする場合には、学術的な意図で「特定の宗教の思想」に触れざるを得ない場合が出てくるため、全くそのような意図の無いサイトのみを外部リンクとして設定することに難しさを感じる部分があることも事実です。本サイトから、外部リンクを辿る際には、そのサイトのご利用法を含めて、あくまでも自己責任として当たってくださるようにお願い申し上げます。(ちなみに管理人は面倒くさがりやですので、リンクにいちいち許可がいるサイトもなるべくリンクの対象とはしないように心がけております。)


また、管理人個人の「宗教的立ち位置」ですが、それは田舎の標準的な日本人とほぼ同様、すなわち具体的にいえば、「地域の神社の氏子」兼「家のお墓があるお寺の檀家」という以上の立場など「無い」と、それだけです。ただし、どうやら「由緒」だけはある家に生まれついているようですので、ご先祖様と、先祖の神様達の探求をしてみたいとそういう思いはあり、それが民俗学や歴史を勉強したいという動機になっています。本サイトを立ち上げた動機もそれ故ということになり得ます。[1]


以上


  1. 要するに「由緒だけ」はあっても、「普通」の家かと。長野県には諏訪氏の氏族である「神家党」の末裔氏族が多く、おそらくその多くは我が家と同様、「由緒」はあっても「普通」のご家庭ではないかと推察されるのですが。しかし、「神家党」の一員であるということは、諏訪神と更にその古くに存在する出雲の神々を祖神に持つ一族の末裔でもあるということは事実なわけで、知識を得たいという欲望の動機は、良いことも悪いことも含めて、自身の先祖のことをもっと知りたい、というその点に尽きます。でも、先祖の神様の「教え」がどうこうだから、それに従いたい、とかそういう欲求は無いわけで、いくらご先祖探求が好きであっても、例え彼らをどんなに尊敬したとしても、縄文や弥生の人々が暮らしたように竪穴式住居に住んで、「ご先祖の神々と同じように生きたい」とは思わない人間で私はある、とそういうことに尽きるわけです。