大塔物語について

提供: Bellis Wiki
2014年1月12日 (日) 19:59時点におけるBellis (トーク | 投稿記録)による版

移動: 案内検索

大塔合戦はまたの名を「大文字一揆」と言います。これは室町時代に幕府から任命された守護を不服とした信濃国人達が力に訴えて守護を追い出した、と言われる事件です。室町時代はそれに引き続く戦国時代の前の時代で、時代が下るほど「国人」と呼ばれる身分の低い人々が自治を求めて一揆を起こすようになり、また幕府に任命された守護大名の力が衰えて、実力主義に立脚した出自が様々な大名が各地に登場して、群雄割拠の時代へと移っていく時代です。
信濃国の豪族であった村上氏と現在「西山地区」と呼ばれる長野市西部の山間地域の小土豪達が協力して起こした「大文字一揆」はその後室町時代に活発になる「国人一揆」の先駆けとなる事件として、教科書的には扱われています。[1]

「大塔物語」はその事件のあらましを述べた物語です。内容については必ずしも史実に忠実とはいえないようですが、室町時代の地方豪族の教養の高さと、政治的意識の高さ、戦というものに対する中世の美意識感等がかいま見える作品です。

信濃国について

室町幕府の3代将軍である足利義満の時代、信濃国にはいくつかの有力豪族がいました。一つは更級郡村上郷(現在の坂城町)の本拠地を持つ信濃村上氏、一つは諏訪湖周辺を本拠地に持つ諏訪大社上社の諏訪氏、下社の金刺氏、一つは小笠原氏です。

小笠原氏は甲斐源氏の庶流です。彼らの先祖は平安時代末期に甲斐国に流された源氏であって、子孫は甲斐国に土着し、その一派である小笠原氏は信濃国へ進出の機会を平安時代末期から伺っていました。

信濃村上氏は、河内源氏(鎌倉幕府を開いた源頼朝の遠縁に当たります。)の庶流で、彼らの先祖は平安時代末期に村上郷へ流されました。彼らはそのままそこに土着し、北信濃に勢力を伸ばしました。

諏訪氏は諏訪大社の祭神である建御名方神の末裔といわれ、遙か古代に信濃国にやってきた一族と言われています。彼らの本拠地は諏訪湖周辺ですが、善光寺周辺には諏訪大社の神紋の「三つ梶」を「一つ梶」にして、建御名方神を祀る神社が多数認められるため、古代において、北信にも諏訪氏の一派が進出していたことと思われます。

一方中世においては、源頼朝に諏訪氏が味方したため、鎌倉幕府の御家人として諏訪氏は栄えていました。特に承久の乱で北条氏に味方したことで、乱後没収された信濃国における上皇方の荘園を御恩として下され、改めて北信濃にも諏訪氏の一族郎党が広く分布することとなったのです。

室町時代における各氏族の動向

Ootoukunimap.png

参照

  1. 「大文字一揆」という名前の由来は参加した豪族達が「大」の字を書いた旗を旗印としたためである。