「掌の女神:甲骨文字」の版間の差分

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2014年4月8日 (火) 18:46時点における版

三星堆遺跡と長江
三星堆遺跡から出土した神人頭像
三星堆遺跡から出土した手掌の像
手掌像に刻まれた巴蜀文字
便宜的に色分けして描いている

古蜀文化(紀元前約3000年~約1000年)の代表的な遺跡である三星堆遺跡(さんせいたいいせき、紀元前2000年頃)からは青銅製の巨大な神人頭像が複数出土している。耳が大きく、目も強調されている像で、特に「見る」という性質が重要視されているようである。また、三星堆遺跡からは青銅製の手掌像も出土しており、その掌には人頭と巴蜀文字が刻まれている。この手掌像に刻まれた巴蜀文字を、可能な限り解読しつつ、この「頭部像」についても考察を試みたい。

手掌像について

三星堆遺跡より出土した手掌像をスケッチしたものが上から3番目の図である。掌に大きく神人頭が描かれ、人差し指から小指にも小さい神人頭が描かれている。中指に描かれているものは正面を向いており、口から水様性のものを吐き出している。残りの指の像は横向きで、人差し指の顔は左目、薬指と小指の顔は右目が描かれている。手掌の下部には巴蜀文字が書かれている(ごく一部は欠損している)。

頭部を強調する思想

この神は人の姿を模して形作られているが、特に頭部が強調されている。これは人体の内でも「頭部」を強調する文化が根底にあるからであると思われる。要するに漢字で現せば「頁」で現される「人」の文化といえる。また、古蜀の文化では、魚が耳であり、男性であり、王でもあり、夫でもあったのであるから「耳」が強調されているという点では「男性」の部分が強調されているといえる。

目に意味を持つ思想

4本の指に描かれている神人頭は3体が横向きである。西洋、例えば古代エジプトでは太陽神ホルスの右目が太陽、左目が月、という思想があったが、古蜀の文化にも類似した思想があったかもしれないと思う。この手掌神像の場合は、右目が2個、左目が1個ということになる。それ以外の頭部は正面を向いている。

水源としての神

中指に描かれた神の頭部は、口から「川」のようなものを吐き出している。口から川を吐き出す図で描かれる神で有名なものは、ガンジス川の女神ガンガーである。また、中国南部とガンジス川流域は古くから交流があったため、この神もガンガー女神と同様の神であることが推察される。三星堆遺跡のある四川省で「大河」といえば長江のことである。長江の水源は正確にはチベット高原にあるのだが、この川はいったん崑崙山脈に入り、四川盆地へと流れ下る。そして、崑崙山脈といえば、山上の瑶池(ようち)という池に西王母という女神が住むと言われている山である。池に住む神である、という点からもこの神が「水」に関する神であることが覗える。要するに、この神は西王母と非常に関連が深い神と思われる。
ただし「耳」が「男性」であるということは、この神人頭が女神的要素を持っていた場合「雌雄同体」であるともいえることになる。神というのは超常的な存在でもあるため、人の頭部に似せた姿で現されても、視線を強調する姿で描かれて特別な「目」を持っていたことが示唆されたり「耳」のみが「男性」であると考えられたということもあり得たのではないだろうか。

巴蜀文字について

漢文は通常文章の右上から縦書きに読むため、その順で分かる範囲で巴蜀文字の解読を試みたい。

図1は、「魚の頭に人の図」であるため「魚を先祖に持つ(魚トーテム)の人」という意味ではないだろうか。
図2-1は甲骨文字との類似性から見て「羊」という文字に日本の足が付いたものだと考える。すなわち「羌」という意味ではないだろうか。図1と併せて考えると「魚を先祖に持つ羌族」という意味になるかもしれないと思う。
図3は立った人が二人並んでいる図であるので「友」「竝」などが候補として挙げられると考える。
図4-1は「川の流れに人頭」という図であるので、おそらく「順」という字ではないかと思う。参考のためにトンパ文字(図4-2)と甲骨文字(図4-3)の「順」を挙げるが、いずれも「川の流れに人頭」という構図が基本であるように感じる。おそらく、トンパ文字の「米」様の記号も人頭から派生したものなのではないだろうか。
図5は中でも一番大きく描かれている文字であるが、女性が手を上げて、どこかにつかまって出産している図であると思う。
図6の意味は不明である。
図7は、巴蜀印円の図との類似性を見ると、二つの耳様の物体に挟まれた鳥人(あるいは天人)の図と考えられ、王権や神権の象徴と考えられる。
図8は文字に欠損がみられ、何と書かれていたかは不明である。
参考として図9を挙げたが、図7-1、7-2に見られる神人の構図は、図9のように白虎と思しき神獣を伴うことがあるようである。白虎とは西王母の使いと考えられている神獣であるため、その点からもこの手掌の神が西王母信仰に関連する神であることが推察される。

まとめ

現在、文献に残されている西王母の最古の記録は古代中国の戦国時代(紀元前403年~前221年)に遡る。そこには周(紀元前1046年頃~前256年)の穆王(ぼくおう、紀元前985年?~前940年)が旅行の際に崑崙山に立ち寄って西王母と会い、帰るのを忘れた、と記載されている。また他の文献には

  • 人の姿で豹の尾、虎の歯を持っている。(山海経)[1]
  • 疫病と刑罰を司る神で、不老不死の仙薬を持っている。(淮南子等)
  • 三羽の鳥(大鶩、小鶩、青鳥)が西王母のために食事を運んで世話をする。(『海内北経』、『大荒西経』)

等の記載があるが、いつ頃からどのような人々によって信仰されていたかということは、判然とし難い神である。その特徴を挙げれば、まず疫神は医薬の神をも兼ねることが多い点が挙げられる。また、刑罰を司る、ということは司法神でもあるということである。また、女神が司法神をも兼ねる、ということはこの神を信仰していたのは男系社会の人々ではなく、女性が家長を務める母系社会の人々であったのではないかと推察される。周の君主の姓は「姫」といい、その伝承的な始祖の母は姜姓であったので、元は羌族と関連した氏族の出であると思われる。掌の神像にも「羌」と思しき文字が彫られており、この神が西王母であるとすると、西王母とは本来母系社会を築いていた時代に、羌族に信仰されていた神であると思われるのである。
ただし、その姿は後世に考えられたものとはやや異なり、

  • 水源の神(豊穣の神)
  • 医薬(安産)の神

としての性質も有していたものと思われる。水は牧畜、農業の豊穣に必須であるので、豊穣神も兼ねていたであろう。また、女神といっても女性という単性の神ではなく「耳が夫であり、かつ男性」という雌雄同体傾向のある神であったようである。

参照

  1. 山海経の記述は、西王母の使いといわれる白虎の姿と混同が生じているのではないだろうか。

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