「変化する「月」:甲骨文字」の版間の差分
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2014年3月26日 (水) 18:33時点における版
一つの甲骨文字から複数の漢字が発生している例を、まず「月」という漢字を通して考察してみたい。
目次
1、月は肉である
古代エジプト神話において、月とは蛇神であり、かつ水源であって水を入れた壷のようなものだと考えられていた。では、古代中国ではどうであったのであろうか、ということになる。漢字は代表的な象形文字であるため、その成り立ちを見てみることにする。すると、「月」という漢字は「半月」の形状から発生しているが、一方同じ形象から「肉」という文字も発生していることが分かる。人間の臓器に関する文字にも「肉」と同語源の「にくづき」という部首が多用されている。要するに、古代中国における「月」とは「肉の塊」であり、それが欠けたり増えたりしていると人々は考えていたのである。
中国では、現在でも「肉」といえば「豚」のことである。「豚」という漢字にも「にくづき」という部首が存在するように、古代中国において「豚」とは「月」に属する存在と考えられていたようである。
2、家の中にいるのは豚の月である
新石器時代の黄河文明でも古い文化にあたるものに裴李崗文化(はいりこうぶんか、紀元前7000年~5000年)がある。この頃の中国は母系社会であり、ここでは粟の耕作やブタの飼育が行われていた。まだ稲作が行われておらず、豚は貴重な食料源であったと思われる。また、この文化の遺跡から賈湖契刻文字(かこけいこくもじ)といわれる印が発見されており、その印は「目」や「日」の原型となったと思われる文字が既に発生していたことを思わせるものとなっている。
ここで、「家」という漢字を見てみると、屋根の下に住んでいるのは、「豚」であることが分かる。本来、家の中に住んでいるのは人間のはずなのだが、何故このような発想になるのか、ということになる。古代中国では祖神信仰とトーテム信仰が盛んであった。要するに、特定の生物を先祖の神とみなし、その生物を特別視するし、自らのこともその生物と同じものとみなすという信仰である。豚を人と同じものとみなすということは「豚トーテム信仰」の名残といえる。豚をトーテムとした氏族が古代中国で有力だったのであり、かつ豚は彼らの食料でもあったはずであるので、食料としては「神が下された食物」でもあったと思われる。そのような氏族が古代中国社会で有力な地位にいたからこそ、現在でも「肉といえば豚肉」というくらい豚肉が社会の中でポピュラーな存在なのである。また「肉」が「月」でもある以上「豚」が「月」ともみなされていて、豚をトーテムとしていた氏族は「月信仰」を有していた人々でもあるといえるのである。彼らの先祖が豚でもあり、月でもあるからこそ、彼ら自身も「豚」でありかつ「月」なのである。それで家に住まうのは「豚」なのだということになる。
更に「婿」という漢字を見てみると、この漢字は「女性の象形のところに、足の生えた月が歩いてくる図」であることが分かる。母系社会の文化においては、夫が妻の家に通う「通い婚」が結婚の形態であるので、まさに男性が自分の足で歩いて妻の家に通うことを示した図といえる。しかし、本来妻の家に歩いて通うのは「男性」であるはずなのに、この漢字では妻の家に通うのは「月」とされている。すなわち、人間の男性が「月」とみなされる傾向が強かったことが分かる。
3.夕方時は月の時間である
甲骨文字における「月」は夕方の「夕」という文字の起源ともなっている。日暮れ時とは、空に月が出ていなくても「月の時間」と見なす風習があったことが分かる。個人的にはこれは「月」を意味する「婿」が通ってくる時間が夕方時であったことも関連するのではないかと思う。この時間帯には、空に月は出ていなくても、地上の「月」が出歩く時間であったのではないだろうか。
4.耳は月なのである
中国のチベット東部から雲南省北部に住む少数民族の一つナシ族という民族がいる。チベット系の民族であるナシ族は一妻多夫の母系社会を形成し、司祭には「トンパ文字」と呼ばれる象形文字が伝承されている。彼らの文字の特徴であるが、母系社会のため「女性」を指す言葉には「大人」、「男性」を指す言葉には「小人」という意味が内包されて使用されているとのことである。
文字の構造が甲骨文字に類似するものもあるため、彼らの「月」という文字をみてみたい。そうすると、上弦の三日月の形の中央に突起様の点が付いているものが「月」という文字だと分かる。甲骨文字にもこのように突起様の構造が付いた文字が存在し、それは「耳」という漢字に変化している。両者の象形文字の類似性からみて、チベットから長江上流域に居住する人々の古い文化には「月」が「耳」であるという概念が存在したことが覗える。おそらく、何かそのような神話的概念が存在したのであろう。
またトンパ文字では、月の文字を上下逆にしたものが「夜」を意味するようである。
三星堆遺跡と巴蜀文字
長江上流域には、かつて古蜀文化(紀元前約3000年~約1000年)という文化が栄えていた。この文化の代表的な遺跡が三星堆遺跡(さんせいたいいせき、紀元前2000年頃)である。青銅器の神像が特徴的なこの文化には、象形文字と思われる文様も存在し、これを「巴蜀文字」という。
いわゆる「甲骨文字」は紀元前1300年頃より登場するため、巴蜀文字はそれよりも古い時代の文字といえる。この文字は時代が下って春秋戦国時代(紀元前770年~221年)の青銅器にも認められる。巴蜀文字は全てが解読されているわけではないようだが、その一部を紹介したい。
巴蜀文字には、上に突起様の構造物がついた「月」に更に下側に「線」が付いた文字が存在する。トンパ文字との比較からみると、これは「月」あるいは(かつ)「夜」を示す言葉であると思われる。また巴蜀文字において「耳」を意味する甲骨文字は「男」や「子」という意味でも使用されている。トンパ文字において。母系社会の文化により「男性」が「小人」も兼ねるものであれば、この文字が「男」と「子」の2つの意味を持つ理由が理解できる。要するに、巴蜀文字とは現代のトンパ文字と連続性があり、母系社会から発生した文字なのである。そこには
- 「男」は「小人」であり「耳」であり「月」である
という文化が存在していたのであろう。