「猿供養寺物語と人柱伝説」、眞田弘信著、「寺野の歴史を考える会」発行、2004
「猿供養寺物語と乙(宝)寺」、眞田弘信著、「寺野の歴史を考える会」発行、2005
新潟県上越市板倉区猿供養寺の「地すべり資料館」で購入した2冊である。板倉区は一番古く越後国府が置かれた、という伝承があり、天台宗の大寺院がかつてはあったそうである。その中に「猿が法華教の写経を試みて、途中で死んだため、それを哀れんで供養した」とのことで「猿供養寺」というお寺がかつてあったらしい。また、「地滑りを防ぐために旅の僧侶が人柱になった」という伝説があったところ、本当に人身御供となった人骨が出土したということで、その僧侶の供養堂もある。
そういう地域の伝承を、細かく詳細に網羅して資料を纏めた2冊で、学生の紀行文風にしてある。板倉地区の「延命清水」や「やすらぎ荘」も紹介されて、郷土愛に溢れた2冊である。個人的にはこういう真面目で郷土愛に溢れた作品は好きだ。
「猿供養」については、「猿神」とはかつて生贄を求める神であったけれども、その一方で延暦寺の地主神のような扱いでもあるので、「悪い猿神も仏教を信じて良い存在になれた」というようなプロパガンダ的な目的で作られた話かと思うわけですが、その下地としては猿神に対して人身御供を捧げるような習慣もあったのではないか、と思います。その場合、地滑り鎮めではなく、猿又川の沈めが目的であったと思われます。
国府については、設置当初は信越国境が重要な地域と考えられたため、置かれたのではないでしょうか。越の国については天武天皇の時代に地元の蝦夷が自治を行いたいと申し出た、という記録がありますし、当時の政府は必ずしも穏やかな統治が望める地域とはまだまだ考えていなかったのかもしれないと思います。
人身御供の名前が残されていないのは、地元の人には「地滑り防止の人身御供」と言いながら、他に秘密裏にしておきたい理由があったからかもしれません。鎌倉時代当時の領主が誰かを呪詛してたとか、と思います。