メッセージ

2019年06月12日の記事

2019/06/12 北欧民話
 学生時分「アンデルセン」や「イプセン」の独訳に親しみ、外交官補で滞独中北欧劇の全部を何回となく見、そして其後北欧四国公使として四年現地で勤務した私には、北欧と聞けば他人事ではない感じだ。その北欧在勤中、諾威「オスロー」で偶然邂逅した髙木さんを、常時海軍から糧食の研究に出張されてゐたのだ。その御縁から十四年たった今日、北欧民話の翻訳の序を書くことになった時分には、何だか前世の約束といふ感じだ。
 さりとて何も改めて長い文句を書いて此の貴重な紙面を塞ぐより、早く高木さんの本文をお読みなさい、此度いろいろな意味で啓発されます、といふほかはない。あの重なる氷山の綺麗な「フィヨルド」、あの純な人々、私は学生時代から今日迄易らぬ尊敬と愛慕を感じてゐるあの諾威の、その懐ろに育まれた民話が、どんなに純で、どんなに清いか、民話の尊さをよく知る我々大和民族には、高木さんの努力が屹度大きな貢献をされることを信じて、これを序とする。

昭和十八年四月三日

武者小路公共

はしがき

2019/06/12 北欧民話
 世界のどこの国でも、その国に昔から伝はってゐる物語や伝説があって、その国の上下、各層に言ひ伝へ、拡められ、いくたび聞かされても面白いと思ふものが、多少ともあるものである。それらの物語や伝説が奇特な民俗学者によって丹念に蒐められ、纏められたものが、また諸国に大抵はあるやうである。本訳の原書は即ちその一つである。
 ここに訳出した物語はノルウェーに語り伝へられてゐた民譚を、ペテル・クリスティン・アスビョルンセンが長年に亘り苦心して蒐集したものである。アスビョルンセンは一八一二年一月十五日ノルウェーの首都クリスチャニア、現時のオスロに生れ、早くから民話に興味を持ち、一八三八年、二十六歳の頃に赤ん坊と題する童話の小冊子を公にした。一八四二年には友人ヨルゲン・インゲブレクトセン・モーと共同で、ノルウェー民話集Norske Folkeeventyrを公にしたが、これはノルウェー民話の古典とも称すべきものである。一八四五年乃至一八四八年にノルウェー妖精話と民間伝説Huldre-Eventyr og Folke-sagnを発表し、前者に勝るものとの好評を博した。
 アスビョルンセンとモーのノルウェー民話蒐集に於ける努力と功績とは尋常のものでなかったので、ゴッスは「若しも、アスビョルンセンとモーとが、旧い伝説の保存に努力しなかったら、ノルウェーの民話は恐らく今日全く跡を絶ってゐたであう。」と言ってゐるほどである。
 一八五三年にモーは牧師となり、専ら宗教に奉事して遂にクリスチャンサンドの僧正となったが、アスビョルンセンは単独で民話の蒐集と発表を続け、一八七一年に新蒐ノルウェー民話Norske Folke-Eventyr Fortalte af P. chr. Asbjörnsen, Ny Samlingを公にした。この書は、一八九六年に北欧文学研究家サー・ジョージ・ウェップ・ディセントによって英訳せられ、ロンドンのギビングス社から出版された。
 アスビョルンセンとモーと共著のもの、及アスビョルンセン単独発表のものも、みな田舎の農民、山間の樵夫、水夫、巡歴音曲家、老爺、老媼などから直接に聴いた、素朴な、怪奇な、可憐な、滑稽な、神秘なものや、イソップ物語のやうに教訓を含蓄せるものや、世相人情を諷刺したものや、種々様々のものを整理して略ぽ伝承のままを文字に表はしたもので、あまりに文飾を加へてないのを特色とする。それ故、アスビョルンセンの民話はノルウェー国語純化の気運を招来し、近世ノルウェー文学復興の上に大いなる貢献を遂げたものである。ノルウェーの文豪ビョルンスチアナ・ビョルンソンは「若しアスビョルンセンがゐなかったなら、自分の如きは世に殆ど知られなかったであらう。」とまで褒賞した。
 アスビョルンセンの書に収めてあるともづれの話や、愚かな亭主と横着な女房の話に似通ったものは、アンデルセンやグリムの物語中にもある。耐久の朋の話はオランダ人の伝説のリップ・ヴァン・ウィンクルの物語を想起させるものである。これはノルウェーの物語が乙の国に伝はり、更に丙から丁国へと拡がっていって、いくらか姿を変えてか、或は殆ど別話のやうな形でその国に語り伝へられたのであるか、どうか、遽かに断定は出来ないのである。寧ろ、その類似の物語はずっと古い共通の話に源を発してゐるのであらうかとも思はれる。何年もの間眠ってゐたといふやうな話は諸国にもその黎があり、また大入道(トールド)の話もさうで、我が国でも道場法師や百合若大臣の話となって民間に伝はってゐる。
 アスビョルンセンの蒐集した民話はすべて北欧色彩に富んだ興味の深いもので、多くは神話に源を発してゐるやうに惟はれる。是等の民話は長いものも、短いものも、それぞれを透して文化の程度や、世相の反面や、道徳の標準や、将又人情の機微を窺知せしめ、ノルウェー民族思想発達の径跡を示すものでもある。このやうな内容を持つ本書は他の国の民話伝説と共に我が読書界の一隅を占めるに足り、また民俗学研究の資料を豊かにするものなるを神事、敢て訳註を試みたのである。底本としてはディセントの名著を用ひ、「流れに逆ふ女房」の話の如き特秀のものは原著に拠って校綴した。 因みに、アスビョルンセンは熱心な民話蒐集家であると同時に、動物学者であったので、ノルウェーの北部地方へは大学や政府の委託で広く研究旅行をして、いろいろと科学上の業績を遺してゐる。途中、一八五三年にノルウェーの深海で発見した海盤車(ひとで)の新種は、学会を驚嘆させ、深海研究を刺戟したものである。また、アスビョルンセンは地中海科学探検隊にも研究員の一人として加はって、当時の記録は氏の科学著作の重要なものとなってゐる。なほ氏は蒐集し、発見した動物学上の標本は、現在ダブリン博物館に陳列されてあるといふ。
 本訳の稿成るに当り、北欧の文芸に精通し、弘奥なる興味と理解とを有せらるる子爵武者小路公共閣下より推薦の序を賜はりたるは役者の最も光栄とするところである。
 尚本書の出版は学友市村宏氏の絶大なる斡旋に負ふところが多い。ここに深甚の謝意を表したい。

紀元二六〇三年(一九四三年(昭和十八年))四月三日

訳者  高木 眞一

第一話 オズボーンの笛

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第1話

 昔々、ある所に貧乏な農夫が住んでいたが、とうとう借りていた農地を地主に返さねばならない羽目になった。農地はなくなったが、農夫には三人の男の子がいた。上からピーター、ポール、オズボーン・ブーツといったが、三人とも家でぶらぶらしているだけで、少しも仕事をしようとしなかった。三人は、どんな仕事も自分達がやるにはつまらなく、満足出来ないものだと思っていたのだ。
 ところが、ある時、ピーターは王様が兎番を募集していると聞いて、父に「行きたい」と言った。ピーターは、「他でもない高貴な王様に仕えるのだから、その仕事は自分に向いている。」と言うのだ。年とった父親は、「それよりも、ピーターにもっと向いている仕事があるだろう。」と思った。王様の兎番をするものは、身軽で素早くなくてはならないし、なによりも怠け者であってはならない。兎が跳ねたり、飛んだりするのを番することと、あっちの家からこっちの家へぶらぶら遊び回って暮らすこととでは、まるで違うだろう、と思うのだ。ところが、父親の意見は何の効き目もなかった。
 ピーターは「絶対に行く。」と決めて、旅袋を背負って、ことことと小山を下って行った。ピーターが遠くへ行って、その遠くよりもまだ先へ行ったときに、一人の老婆に出会った。老婆は、木の切り株に突き刺さっている自分の鼻を必死に引き抜こうとしていた。ピーターは、老婆が鼻を抜こうと必死に引っ張っている姿を見て、大笑いした。
「そんなところで笑ってるんじゃない。」と老婆は言った。「ここへ来て、足の悪いあたしを助けておくれ。薪を少しばかり割ろうとしたら、鼻が突き刺さってしまったんだよ。ここに立って、引っ張ったり、揺すったりしてるから、何百年も食事もできないんだ。」と言うのだった。
 ピーターは、それを聞いてますます笑い転げ、ものすごく面白いと思った。「そんなに何百年も立っていたのなら、これからだって何百年もそうしていればいい。」とそう言った。
 ピーターは王様のご殿に着くと、すぐに兎の番人に召し抱えられた。番人の仕事は、難しいことではなくて、おいしい食べ物と、良い給金が貰えるし、おまけに、お姫様を妻にすることが出来るかもしれなかった。でも、もし兎を一匹でもなくしたら、ピーターの背中から赤い筋を三本切り取って、それからピーターを蛇がたくさんうようよしている穴に投げ入れる、と言うのだ。
 ピーターが兎小屋や農場にいる間は、兎を一まとめにして飼っていたが、日が経ち、兎を森に連れて行くと、みな飛んだり跳ねたりして、丘を走り下りたり、走り上ったりした。ピーターは、兎を追って、あちこち走り回り、一匹でも目につくうちは走り回っていたので、しまいには体が破裂するのではないかと思った。で、とうとう、最後の兎を見失ってしまったとき、ピーターの息はすっかり切れていた。そして、兎の姿はまったく見えなくなっていた。
 夕方になって、ぶらぶらと帰りながら、農場の柵のところに来て、兎を呼んだけれども、一匹も戻っては来なかった。お城に戻ると、王様はすでにナイフを持って待ち構えていた。王様はピーターの背中から三本の赤い筋を切り取って、そのあとへ塩と胡椒を擦りこんでから、ピーターを蛇のうようよしている穴に投げ入れた。
 しばらくすると、今度は弟のポールが「王様のお城へ行って兎の番をしたい。」と言い出した。年とった父親は、兄の時と同じ事を言ってきかせ、他にもいろいろと心配事を述べた。けれども、ポールは「ぜひ行きたい。行かなきゃならない。」と言うのだった。で、どうにも仕方がないので行かせたが、とどのつまりはピーターのときと全く同じで、良いことは起きなかった。老婆は同じ所に立っていて、木の切り株から自分の鼻を引き抜こうとしていた。ポールは、ものすごく面白いと思って笑い、老婆が必死で困っているのを見ながら、その場所を通り過ぎた。ポールはすぐに兎番に召し抱えられたし、誰も反対する者はなかった。けれども、兎はまたもや飛んだり跳ねたりして丘の下の方へ走って行ってしまった。ポールは駈け回って、暑さでふうふうと喘いだ。で、ポールが兎を一匹も連れないで、夜になって帰って来ると、王様は城の門のところでナイフを持って、ちゃんと立って待っていた。王様は、すぐさまポールの背中から三本の太い筋を切り取り、そのあとへ塩と胡椒を擦りこんでから、蛇の穴へ投げ入れた。
 それからしばらくたって、末の息子のオズボーン・ブーツがどうしても王様の兎番をしに行きたくなって、気持ちを父親に打ち明けた。ブーツは、森や野を巡り、野苺のしげみの傍らを通って、兎の群れを連れ歩き、その合間に日当たりの良い丘で横になって眠ったり、日向ぼっこをしたりするのは、自分にもってこいの仕事だろう、と思った。
 父親は、ブーツにも、「もう少し合った仕事があるだろう」、と思った。もし二人の兄弟より悪くなることがなくても、それより上手くいくとも思えなかった。王様の兎番をする男は、靴に重しが付いているんじゃないかと思うようなのろまや、油を舐めている蝿のようにもたもたしていてはならない。兎が日当たりのよい小山の坂で跳ねたり飛んだりしているのを集めるのは、手袋をはめて蚤を捕まえるのとは全然わけが違うからだ。その仕事を、罰を受けずにやり遂げるには、普通に身軽で素早いだけではだめだった。風船や鳥の羽よりも、早く飛び廻らなくてはならない。
「まあ、どんなにひどい仕事でも構わない。」と、ブーツは言った。
 ブーツは、どうしても王様のお城に行って、王様に仕えたいと言うのだった。王様より身分が低い者に仕えたくなかったし、兎番もたやすくできると思ったからだ。兎は自分の家の山羊や仔牛よりは、楽に面倒をみれるだろう。それで、ブーツは肩に旅袋を背負って、丘をぶらぶらと降りて来た。
 ブーツが遠くへ行って、その遠くよりもまだ先へ行って、とてもお腹がすいたときに、ブーツは老婆に会った。老婆は木の切株にしっかりと挟まれた鼻を引っ張って、もぎ取ろうとしていた。
「足の悪いおばあさん、こんにちは。そんなところに立って、鼻を研いでらっしゃるのですか?」
「はて、今まで何百年の間、わたしをおばあさんと言ってくれた者は、ただの一人もなかった。どうか、ここへ来て、わたしをここから助けておくれよ。それから何か食べ物を恵んでおくれ。長い間、ずっと何も食べてないんだ。いつか、ちゃんとお礼をするよ。」と老婆は言った。
 ブーツは、老婆が食べ物と水をほしがるのは、当たり前だ、と思った。
 そこで、ブーツは老婆が、切株の割れ目から鼻を離せるように、切株を割ってやった。それから、座って一緒に食事をした。老婆がとても良く食べたので、ブーツの持っていた食べ物は、ほとんどなくなってしまった。
 食事が済むと、老婆はブーツに一つの笛をくれた。その笛は魔法の笛だった。それは、一方の口に息を吹き込むと、「行ってしまえばいい」と思う者は、あちこちへ散っていく。もう片方の口を吹くと、散ったものが、また一つに集まってくる。それから、もし笛がなくなるか、盗まれるかしたら、「笛が欲しい」と心の中で唱えればいい。そうすれば、笛は戻って来るのだった。
「なるほど、これは便利な笛だね。」とブーツは言った。
 ブーツは王様のお城に着くと、すぐに兎番に決まった。役目はそう大変ではないし、食べ物にも、お給金にも困らない。兎番がちゃんと務まったら、お姫様と結婚できるかもしれないのだ。けれども、もし兎を一匹でも逃がしたら、それが例え子兎一匹であっても、ブーツの背中から赤い筋を三本切り取るというのだ。王様は自信満々で、直ぐにナイフを研ぎ始めた。
 ブーツは兎の番をするのは何でもないだろう、と思った。兎は外に出るときは羊の群れのように穏やかで、野路や農場にいる時は簡単にまとめてついてこさせることができるからだった。けれども、兎を連れて森のそばの小山に登っていくと、丁度昼頃で、太陽が坂や山に照りつけて輝きだし、兎は山中に跳ね回ったり、飛び回ったりし始めた。
「ほう! ほう! 止まれ! どっかへ行きたいなら、行け!」
とブーツは言って、笛の一方の口に息を吹き込んだ。そうすると、兎は四方八方へ走り去ってしまって、一匹も後には残らなかった。ブーツは、古い炭焼場に着くと、もう片方の笛の口を吹いた。すると、あっという間に兎がみんな集まってきて、隊を作って整列した。それで、ブーツは丁度、閲兵式の軍隊のように、一目で全ての兎を見ることができた。
「なるほど、相当な笛のようだね、これは。」とブーツは言った。
 ブーツはそれから、日当たりの良い斜面に横になって眠った。そこで兎は夕方まで、跳ねたり、飛んだりして遊んでいた。目が覚めると、ブーツはまた笛を吹いて、兎を集め、羊の群れのように引き連れて、お城に戻った。
 王様と、お妃様と、それからお姫様も、みんな城門に立って待ち構えており、兎をこんなに連れて戻ってくるとは、これはどういう男なのかと不思議がった。そして、王様は指を折って兎を数え、何度も何度も数え直した。でも、一匹すらも、いなくなってはいなかった。子兎一匹すら、いなくなってはいないのだ。
「相当な若者でございますわ、これは。」とお姫様が言った。
 次の日、ブーツは森に行って、また兎番をすることになった。ブーツが、野苺の草むらに寝転んで休んでいると、どうやってちゃんと兎番をしているのかを見定めようと、お城から侍女が一人やってきた。
 そこで、ブーツは笛を取り出して見せると、一方の口を吹いた。そうすると、兎は丘や谷に、風のように飛んで行った。それから、片方の口を吹くと、兎はみな大急ぎで草むらに戻ってきて、隊を作って並ぶのだ。
「なんて可愛い笛でしょう。」と侍女は言った。「もし売ってくださるのなら、金貨百枚差し上げましょう。」と言うのだ。
「そうでしょう! これはすごい笛なんですよ。だから、お金だけじゃ、あげられない。でも、もし金貨百枚と、一枚ごとにキスを一つくれるなら、あげましょう。」
「はい! いいですとも! もちろん、おっしゃるとおりにしましょう。金貨一枚につき、キスを二つあげましょう。そして、お礼も言いましょう。」と侍女は答えた。
 そこで、侍女は金貨とキスと引き換えに笛を貰った。けれども、お城まで戻ると笛はなくなっていた。ブーツが、「笛が戻るように。」と願ったからだ。夕方になると、ブーツは羊の群れを連れるように、兎を連れて帰って来た。
 そして、王様がいくら数えても、調べても、兎の毛一本すらなくなっていなかった。
 ブーツが、兎の番を始めてから三日目に、お城からお姫様がさしむけられて、笛を奪おうとした。お姫様は、雲雀のように快活で、「もし笛を売ってくれた上に、そのままお城まで持って帰るにはどうしたらよいか言ってくれたら、金貨二百枚を上げましょう。」と言った。
「そうです! これはものすごい笛なのです。これは売り物ではありません。でも、もしお姫様が金貨二百枚と、一枚ごとにキスを一つくれるなら、差し上げましょう。そうしたら、笛をお持ち下さって構いません。笛を持っている間は、よくよく気をつけないといけません。それはお姫様のお務めでございます。」とブーツは言った。
「一本の兎笛にしては、ずいぶん高いお値段ですこと。」と、お姫様は思った。その上、ブーツにキスしなければならないなんて、嫌なことだ。
「けれども、ここはお城から遠い森の中だし、誰も見てはいないし、聞いてもいない。しょうがないわ。この笛は、どうしても手に入れなきゃならないんだから。」とお姫様は言った。
 それで、ブーツがお金とキスを受け取ると、お姫様は笛をもらって帰って行った。途中ではずっと、指で笛をしっかり持っていた。けれども、お城に着いて、取り出そうとすると、笛は指からするっと抜けて、なくなってしまった。
 次の日は、お妃様が、「自分が行って笛を取ってきましょう。」と言った。お妃様は、「きっと笛を持って帰ってきましょう。」と言うのだ。
 ところで、お妃様はお金のことは誰よりもけちけちしていて、金貨五十枚だけしか出さないと言うのだ。けれども、結局、金貨三百枚を支払わなくてはならなかった。ブーツは、「笛は相当貴重なもので、お金には変えられません。でも、お妃様のためなら、金貨三百枚と、おまけに一枚ごとにキスを一つくれるなら、差し上げます。そうしたら、お持ちになって下さい。」と言った。ブーツは、キスはたっぷりと貰った。お妃様は、おまけの方はけちけちしていなかったのだ。
 お妃様は、笛を手に入れると、自分の体にしっかりと結びつけて、よく気をつけていた。でも、お妃様も他の人達と似たり寄ったりだった。お城に帰って、笛を取り出そうとすると、笛はなくなっていた。夕方には、ブーツは兎をすっかり馴れた羊の群のように追いながら、小山から降りて来た。
「とんでもなく馬鹿げた話だ。そのくだらない笛を必ず手に入れるには、余自身が出向かねばならぬようだ。他に方法がない。」と王様は言った。
 翌日、ブーツが兎を連れて森の奥深くへ入って行くと、王様はこっそりその後をつけて行った。すると、ブーツが以前、侍女やお姫様やお妃様とやり取りをした、日当たりの良い丘の斜面に寝ているのを見つけた。
 王様はブーツと親しくなって、ごく楽しそうだった。ブーツは笛を見せて、始めに一方の口から吹いて、それからもう一方を吹いてみせた。王様は、それを素晴らしい笛だと思って、金貨千枚を支払っても手に入れたい、と思うようになった。
「そうです! これはこの世に二つとない笛なんです。お金では決して買えないものなんですよ。ところで、あそこにいる白い馬が見えますか。」とブーツは言って、森の中を指しました。
「見えるかって! もちろん、見える。あれは余の愛馬、白龍だ。」と、王様は言って、そんなことは言われなくても分かっている、と思った。
「分かりました! もし、王様が金貨千枚を下さって。それからあそこの沢の太い樅の木のうしろで、あの白馬にキスをしたら、この笛を差し上げましょう。」と、ブーツは言った。
「ほかの報酬では駄目なのか?」と王様は尋ねた。
「絶対に駄目です。」と、ブーツは言った。
「分かった! だが、余と馬との間にハンカチを置いてもいいだろうな?」
「よろしゅうございます。御心のままになさってください。」
 こうして、王様は笛を手に入れ、財布の中にしまった。そして、その財布をポケットに入れて、しっかりとボタンをかけ、馬に乗ってお城へ戻った。けれども、お城に着いて、笛を取り出そうとすると、お妃様や、お姫様や侍女と同じ目にあった。笛がなくなったのだ。その時、ブーツが兎の群を追って帰って来た。兎は毛一本ほどもなくなってはいなかった。
 王様は、ブーツが皆を馬鹿にし、笛をだまし取ったと思って、ひどく腹を立てた。そこで、「勿論、ブーツを死刑にせねばならぬ。」と王様は言った。お妃様も口を揃えて言った。「このような悪者は即刻片付けるのが、一番いい。」と言うのだ。
 ブーツは、それは公平でも公正でもないと思った。相手の求めに応じただけだから。そこでブーツは、背中の筋と命のために、一生懸命言い訳をした。
 王様は、「それは仕方がないことだ。」と言った。でも、「もしブーツが大きな酒樽を嘘で一杯にして、嘘が樽から溢れ出るなら、命は助けてやろう。」と王様は言った。
 それは時間のかかる仕事でもないし、危険な仕事でもなかったので、ブーツは勿論「やってみましょう」と返事した。そして、最初からのことを話し始めた。ブーツは、老婆と木の切株にくっついた鼻のことを話して、それから「さあ、酒樽を一杯に満たすには、どんどん嘘をつかなきゃ。」と言った。次に、笛のこと、どうやってそれを手に入れたのか、そして侍女のこと、侍女が来て金貨百枚で買い取りたいと言ったこと、その他に森の中でおまけにキスを貰ったことを話した。そして、お姫様が来たこと、森の中で、誰もいないところで、笛を手に入れたいがために、とても優雅にキスされたことを話した。そこで、笛のこと、どうして、それを手にいれたか、そして侍女のこと、侍女が来て金貨百枚で買取りたいと言ったこと、その他に森の中でおまけの接吻のこと、などを話しました。そして、言葉をとめて、
「私は酒樽を一杯にしなければなりませんから、どんどん嘘を言わねばなりません。」と言った。そこで、お妃様のことを話し、お金はけちけちしていたこと、キスはたっぷりだったことを話した。
「酒樽を一杯にするには、もっともっと嘘を言わなきゃなりません。」とブーツは言った。お妃様は、
「私は、酒樽はもうかなり一杯になったと思いますわ。」と言った。
「いや! いや! まだ一杯じゃない。」と、王様は言った。
 そこで、ブーツは、王様がおいでになったこと、沢にいた白い馬のこと、もし王様が笛をご所望というのなら、王様は、――「いかがでしょうか、王様。もし、酒樽を一杯にしなければならないのなら、わたくしはこのまま話を続けて、途方もない嘘をつかねばなりませんが。」とブーツは言った。
「待て! 待て! 若者! 酒樽はもう縁まで一杯になっておる。溢れているのが見えないのか。」と王様は言った。
 そこで、王様も、お妃様も、お姫様とブーツを結婚させ、王国の半分を分け与えるのが一番だ、と考えた。ほかにやりようがなかったのだ。
「これはすごい笛だ。」と、ブーツは言った。

原文:001_boots.pdf