24年10月22日

 本日は外作業のみ。私は土の清掃、土の埋め戻し、土掘り、姉は土の清掃、石片付けでした。

 ともかく、毎日忙しいです。

24年10月21日2

 そういえば、日本には「かぐや姫」という話があります。竹の中から出てきた女の子が竹取の翁に育てられて、色々な貴公子や帝に求婚されますが、月に帰ってしまう、という話です。「月の女神」になる、というのは潜在的に「死者になる」ということを示します。太陽が死んで月になる、とされているからです。かぐや姫は

太陽女神が死んで(あるいは罰を受けて)竹という岩戸に閉じ込められて死んで、月の女神になった

とそういう話です。これに似てるのがハイヌウェレ神話です。ハイヌウェレはアメタという養父に育てられますが、殺されてしまい、彼女が死ぬと月の女神が人々の間から去ってしまいます。ではアメタとか、竹取の翁って何者? となります。

 竹取の翁とは、竹を切って竹細工を作って生計を立てている老人のことですから、木工芸をやる人、といえます。木工芸の神っていったら、五十猛です。・・・それってほぼ「我が家の祖神」では?? と思う。ハイヌウェレの父親は「狩人」とされていますが、娘を助けるわけではない、というか

娘を岩戸から蘇生させる

のではなくて、

芋に変えてしまう

わけで、ハイヌウェレ神話もまた、「歪んだ岩戸神話」といえます。でも、それが「芋の母」の神話として非常に広い地域に広がっているのでは?? と思います。だから「かぐや姫」も「岩戸神話」の一種なのです。籠もるのが「竹の中」なのですけれども。でも彼女は死んで、月の女神として再生してしまったので、結婚もせず、ということなのです。

24年10月21日

 次は、伝承に見られる「歪み」の話。

 苗族は蚩尤の化身である楓を先祖だと考えている人々で、現在は父系です。でも「ヤマイヌと七人の乙女」を見る限り、かつては母系であったことが分かります。大渓文化の頃はまだ母系だったかもしれません。織り姫である日月乙女達がいたということは、その上に「日月王母」といえる女神がいたはずなのです。これは中原の西王母のこと、日本神話の天照大神のことです。で、「ラオタンのトラ退治」という人食い虎女神を退治する話がありますので、「日月王母」は虎だったことが分かります。西王母は「「人のすがたで豹の尾、虎の玉姿(下半身が虎体)」です。天照大神は弥生系の人々と縄文系の人々でトーテムが異なると思われます。弥生系の我が家だったら何て言いますかねえ? 名古屋から東海にかけての物部氏系氏族は竜母が好きだから竜だと思います。泉小太郎の母も竜だし。縄文系の人々だったら熊というと思います。朝鮮の檀君神話の母も熊だし、異教時代のヨーロッパでも熊女神信仰が盛んでした。

 だから、「ヤマイヌと七人の乙女」の伝承は、王母が欠けているのです。長い歴史のどこかで削除されてしまっていて、「人食い虎」としての伝承しか残っていません。本来だったら

ヤマイヌは王母を殺して、日月乙女達を襲った

という話だったと思うのです。洞窟に籠もった日本の天照大神は、これに近い形の話の残存だと思います。須佐之男は織り姫を殺しますが、同時に何故か天照大神も洞窟に籠もる(一種の死の状態になる)ということになります。ハイヌウェレ神話もこれに近くて、芋の乙女ハイヌウェレが殺されると、月の女神サテネも人の世界から去ってしまいます。ギリシャ神話では娘のプロセルピナが去ると、母のデーメーテールも神々の世界を去り、世界は冬になってしまいます。要は天照大神と織り姫、サテネとハイヌウェレ、デーメーテールとプロセルピナは同時にこの世から去ってしまうのです。でももっとヤマイヌとの関連が分かりやすい話で

赤ずきんちゃん

というのがあります。赤ずきんちゃんは、まず森に住んでいるおばあさんが狼に食べられ、次に赤ずきんちゃんが食べられてしまいます。なんでおばあさんが森に住んでいるかといったら

熊の王母

だからです。ヨーロッパが舞台だから。人間の子供達はとってもおっかなくって現実に一緒に村で暮らせたりはしません-;。というわけで、元の話は

ヤマイヌは王母を殺して、日月乙女達を襲ったけれども、善良な狩人に助けて貰った。瀕死の乙女は狩人に助けられて、結婚した。

という話だったんじゃないでしょうか。とすると、伝承から排除されているのは、日月王母と「狩人」ということになります。なんで狩人を排除するのですか? 恨みでもあるのですか? となりますが、ご安心下さい。狩人のトーテムは鶏なので、「オンドリにはなぜトサカがあるか」と「『笙のまつり』のいわれ」という話に彼はちゃんと登場してきます。「笙のまつり」なんて、苗族にとってはとても重要なお祭なんじゃないでしょうか? 一方、日本神話と比較すると、鶏は単なる鶏にされ、狩人は単なる男(タヂカラ)にされ、アメノワカヒコは雉を殺してすぐ殺されてしまいます。早太郎も猿と戦って死んでしまって子孫は残しません。・・・これこそ本当に「恨み」があるでしょ、とあきれかえるあたくしがいるわけですが。

 でも、こうやって父系が浸透するにつれて書き換えられてしまった伝承の歪みは、大切な説話であるはずの「『笙のまつり』のいわれ」の中に大きく食い込んでくるのです。それが苗族の悲劇の歴史にどこかで繋がっているように私には思えてならないのです。

 ちなみに、この「狩人」のトーテムは私のイメージでは「犬」だったので、鶏という概念は新鮮でした。だって槃瓠も早太郎も「犬」だから。(早太郎が本当は「狼」だって知っているそこのあなたはとりあえず黙っておくように。)と私の心の声はつぶやくわけです。早太郎は、とりあえず「犬」でいてくれないと困るのです。そして、「『笙のまつり』のいわれ」のマオシャも雉の羽を頭につけてはいけないわけです。それは「魔王を倒した鶏神と一体となって神の加護を得る」という呪術なのだから、魔王の羽をつけたらマオシャも魔王になってしまいます。そうすると雉の魔王を倒した者が新たな魔王になる、という意味不明なスパイラルが起きてしまいます。でも、これを「王権の永遠性」にひっかけてネミの森の祭祀に発展させたのが古代ローマなのです。前の魔王(森の王)を倒した者が次の魔王(森の王)となって、森の王の加護を受けたローマは永遠である、なぜなら魔王は交代制でどんどん若返るから、となります。

 だけど、魔王が雉で善良な狩人が鶏、魔王が狼で善良な狩人が犬

ってなんだか似通っててわかりにくくないですか? と思います。これはたぶんわざとそうしてるのだと思います。魔王と善良な狩人を一緒くたにしてしまって、善良な狩人を魔王に習合させようとしているのです。なぜなら、善良な狩人は男性だけれども、母系の擁護に努め、そしてテーセウスのごとく、猛獣のトーテムを借りて人身御供を求めるその時代の父系に利用されていた母系の改善に努めたからです。だから、父系の悪魔達は、善良な狩人を英雄のままにしておくと父系の浸透の邪魔になるので、魔王と習合させようと画策してきたと思われます。善良な狩人は、特に強く「雷神」と習合させられたので、例えばギリシャ神話のゼウスのように

怪物を退治する英雄、なんだけれども女を漁ったり略奪する神

というようなのができあがってしまいました。ゼウスは「怪物を退治する英雄」の時は鶏だけど、女を略奪する時は雉なわけです。ちなみに

「頭に鶏の羽を飾る」

というのは、母系の時代には「雌鶏(太陽王母)」の羽を頭に飾って、太陽王母と一体化する、という思想だったんじゃないかと思います。人々は太陽女神にあやかって、幸せな恋愛と、子孫の繁栄、狩の豊穣、狩や戦争での無事を祈ったのでした。どうしてそう思うかというと、

八俣遠呂智を退治する須佐之男は奇稲田姫の櫛(姫の一部)を頭につけるからです。奇稲田姫は稲を実らせる女神ですから、太陽女神の一種です。須佐之男は太陽女神の力を得て、怪物を退治した、といえますが、彼の「鶏神」的な面はこれだけで、天界でやってたことはまさに「雉神」な所業だから、須佐之男は、まあ、ほとんどが魔王といえます。でも退治されません。なぜなら「我が家の先祖だから(笑)」。で、こうやって魔王と英雄をあの手この手で習合させたので、

鶏英雄が雉魔王を倒したら自分が雉(悪魔)になってしまった

とか、

狼早太郎が英雄的行為をした

とか、混乱した伝承ができあがることになってしまいました。だから私は歪んだ伝承の歪みを正して

父系の悪魔に支配されて人々を食い散らかす日月王母になってしまった母系の「太母」を廃して、人々を等しく照らし搾取しない母系の日月王母を新たに立てるために英雄が尽力した。英雄はそのために父系の雉魔王あるいはヤマイヌを倒した。

という歴史を語りたいわけです。いつの時代の話なのか? と聞かれても大渓文化の時代にはすでに伝承に歪みが出ているほど昔の話、としか言えない。岩戸神話っていうのは、

古い日月王母を倒して、新たな新時代の日月王母を立てよう

という話なのです。ラプンツェルは、人身御供を求める古き魔女から、若い女神を切り離して新たな結婚や家庭が作られる物語である。殺された(失明した)若者は雌鶏女神のラプンツェルに蘇生される。彼女は人食いの女神ではないのです。イ族には鶏と一体化した娘が魔王に殺された恋人を蘇生させる伝承がある。天若日子は太陽女神と思われる妻の下光比売命に蘇生?させてもらって、アジスキタカヒコネという祟り神となって蘇生します(笑)。どんだけ魔王が好きなんですかね、なんで、テーセウスを蘇生させたらミーノータウロスになってしまうのかww、となるのです。

24年10月20日

 北斗信仰のことばっかり書いていたら、鶏様のことを書く暇がございません-;。というか、

ヤマイヌと七人の乙女

が「天狗食日月」なら、そんな伝承はあちこちにあるのでは?? メリジューヌとか?? ハイヌウェレとか?? と思ったあたくしである。というわけで

書くのはメリジューヌが先か、ラプンツェルが先か、

悩ましいところです。だって、ラプンツェルって「岩戸神話」でしょ? 眠り姫も「岩戸神話」でしょ? となる。苗族の伝承ってすごいなー、と思います。

24年10月19日

 ともかく、勉強しなければならないので、平凡社の「苗族民話集」を超特急で斜め読みして勉強する。そして、そこにある精神文化の中に

歪みと矛盾と苦悩

を読みとって泣ける。今日の午前中は仕事をしながら、ただただ悲しくて泣ける。彼らの上帝信仰(北斗信仰)が泣けるし、雉と鶏の扱いにも泣ける。苗族の伝承を語る時に、大渓文化ではまだ父系の王権は明確に発生していなかったであろうと思うので、上帝も存在せず、本当は「上帝信仰」という言葉は使いたくないのだけれども、縄文日本で言うところの

御しゃく様、いわゆる「ミサクチ様」

がうろうろしてることは明白なので、結局広く「上帝信仰」と書かざるを得ないのも本当は面白くないのだけれども、どうしようもない。何故私が泣けてしまうのか、それはまず「七星山」の伝承による。これは、清代に政府と苗族が対立して、苗族が反乱を起こし、結局鎮圧され苗族の衰退を招いた悲劇の歴史の一コマを描いた伝承である。清代の話だから、そんな昔の超古代の話じゃないよ? と思う。それは

七星山は高山で水が豊富であったので、そこに立て籠もった苗族は、山を政府軍に包囲されても困ることなく戦った

と、そういう話である。でも「七星山」といったら「北斗七星」を投影している山だし、北斗のひしゃく様が天水を地上にもたらしてくれる、というのが古代の人々の信仰である。余談だけれども、たぶん、諏訪の御頭祭も本来は天水の安寧を求めた祭だったのではないか、と思う。天水はありすぎても、なさすぎても困るものだからである。だから、清代の出来事を題材にした伝承だけれども、「七星山」の伝承には

ひしゃく様が天水を正しく与えて人々を守ってくれている

という、もう王権が発生する以前からの北斗信仰が根底にあって、それが清代になってもいまだ苗族の人々の中に生きていたことを示すものなのだと私は思う。だけどもう一つ「ヤマイヌと七人の娘たち」という話があって、こちらは

7匹のヤマイヌ(雄)が7人の織り姫を襲おうとするけれども、娘達に撃退される

という話である。伝承の世界では、「英雄の怪物退治」は花型的な、どこでも見られる話なのだけれども、たまにというか、割と頻繁に「女性が怪物と戦う話」もみられる。日本でもたまーに、生け贄にされた女性が自ら猿神を退治する話がみられる。あとは、須佐之男を武装して出迎えるアマテラスとか。そして、織り姫を襲って殺す無礼な者の話も各地に見られる。台湾の神話の巨人とか、日本の須佐之男とか。でも、苗族の無礼者は「7」という明確な数字を持っているからこれは、「北斗七星」の擬人化であることが分かる。北極星は、王権が発生すると「王権の星(上帝)」とされるし、須佐之男も王権の先祖としての機能を持つので、「7匹のヤマイヌあるいは須佐之男型神」というのは地域性、民族性のある神であって

中国東北部あたりに起源を持つ遊牧民

にとっては、英雄の星、征服者の星、王の星、なんだけれども、南方の長江流域では

強盗強姦魔の星、略奪者の星

になるのである。だって、実際そんなことしかやってないでしょ? と思う。ということで

先祖の少彦名命(北斗星)がやってきて原住民の盗賊達をやっつけたから、今俺たちはここに住んでるんだよ、ハッピー、ラッキー

という感じの伝承しか持ってなさそうに思える我が家なので、別に腐った先祖なんか尊重する気持ちはないわけですが、あからさまに

「北斗七星が強盗強姦魔の星」

だということを突きつけられると、衝撃はある。それは余所の自分とは関係のない世界の話ではなくて、古代の中国東北部あたりをうろついていたうちの先祖がやらかしたと思われる話だからである。しかも、その一方で「北斗七星が、人々が困っている時に助けてくれる(父なる)星である」という信仰を突きつけられたら、なんて言えばいいの? 北斗七星は、彼らにとって強盗強姦魔であるけれども、父親でもあるとなれば、せめて私が

苗族は金刺氏族の弟妹である

と言ったら、苗族の北斗信仰の中にある矛盾と苦悩は少しは癒やされるの? その原因は7千年も8千年も昔のことなのに、今も苗族の中に苦悩として残っているほど、重大な出来事なのに?? と思う。水内郡の少彦名命の脳天気な「征服神的上帝信仰」の裏には、略奪され犯された人々の苦悩が今でもあるように思う。いくら慕っても、北斗七星の神は苗族を「子供」と認めて助けてくれるような神ではない、その神には気をつけねばならない、とむしろあたくしはそのように思い、清代の苗族の苦悩を思って泣けたわけです。